この記事のココがポイント
コロナウイルスは人類に対してアセンションを促しているかもしれません。
人間とコロナウイルスとの戦争
コロナウイルスが世界中で猛威を振るっています。
今、人間はコロナウイルスによって試されているのかもしれません。
今世界中でコロナウイルスの感染拡大が起こっています。
これは、人間と新型コロナウイルス(COVID-19)によるある意味、戦争です。
静かなる第三次世界大戦が始まってしまったようなものです。
このコロナウイルスは目に見えない恐怖による、人間の精神的な戦いの他に、人間の経済にも大変な影響を及ぼしています。
一体、いつこの戦争は終わるのでしょうか?
しばらくは、このコロナウイルスはついて回ることになるでしょう。
第一波が去っても、第二波、第三波と襲って来ています。
しかし、それをいつまでも恐れていては、経済も人間の生活も袋小路となってします。
これからは、パソコンでのオンライン等、での新しい形のコミュニケーションの仕方で生活し、新しい形の経済の発展をすることが求められてくるのだと思います。
人間は自分の周りの状況がどのように制限されても、精神は自由ですので、人類の知恵ですべて克服することが出来ると思うのです。
コロナウイルスに対する薬とワクチンの開発が急がれますが、開発はなかなかすぐにはできないようです。
この戦争で人間は、自分自身の内面にある精神性に目覚め、人間の精神的次元を上昇させる(アセンション)ことができる、良い機会となるでしょう。
人間である自分と自分の内部にある「神」とによる対話で、一体アセンションできる人間は何人いるでしょうか。
もしアセンションができた人間がいるならその人間は、救世主となり得るかもしれません。
一千万人の内の一人でも本当にアセンションできれば人類の未来は明るいと思います。
コロナウイルスによる差別
コロナウイルスが流行りだして、コロナウイルスにかかった人間が差別されるという人間の悲哀が起こっています。
に病院の中にいる医師や看護師が差別されると言いうことが行われています。
この恥ずべき行為はコロナウイルスによる恐怖心が起こしている人間の悲哀です。
自分がコロナウイルスにかかった場合はどうなるのか考えればわかることなのですが。そこが人間の浅はかさというべきものなのです。
このコロナウイルスは人間の人間性を試しているかのように広まっています。
かからないようにするのは当たり前ですが、人間が精神的に低い次元へと成り下がるのを防がなりません。
まともな人間と、まともではない人間がいる
フランクルは、「夜と霧」の著作で、収容所の中で、ある現場監督(被収容者)が、自分の食べる朝食のパンをフランクルにくれたエピソードを通して、まともな人間と、まともではない人間がいる、と言うことを述べています。
「夜と霧」の新書と旧書では訳され方が違っているので、新旧両方の訳の引用をしてみます。。
こうしたことから、わたしたちは学ぶのだ。この世にはふたつの人間の種族がいる、いや、ふたつの種族しかいない、まともな人間とまともではない人間と、ということを。
夜と霧 V・E・フランクル ランクル著作集第一巻 みすず書房 p144~145
これらすべてのことから、われわれはこの地上には二つの人間にの種族だけが存するのを学ぶのである。すなわち品位ある善意の人間とそうではない人間との「種族」である。そして二つの「種族」は一般的に拡がって、あらゆるグループの中に入り込み潜んでいるのである。
夜と霧 V・E・フランクル ランクル著作集第一巻 みすず書房 p196
新書の訳では
人間にはまともな人間と、まともではない人間がいる
旧書の訳では
人間には品位ある善意の人間とそうではない人間がいる
アウシュヴィッツ強制収容所の中で収容所の看視兵の中には、囚人に自分の一片のパンを与えていた、まともな人間もいたと言っています。
人間には、このまともな人間と、まともではない人間とが、混ざり合って世界中に存在していると言っています。
重要なことは、人間は、まともな人間にでも、まともではない人間にでも、その時その時の瞬間に、決断することによって、どちらにでも人間は成ることが出来るということです。
ふたつの人間の種類
- 善人
品位あるまともな人間
- 悪人
まともではない人間
要するに、人間には善人と悪人が存在するのです。
そして、人間は善人か悪人かの、どちらにでもなれるように、自由に作られています。
二種類の内のどちらになるかは、その人間の自由であるということです。
我々人間は「善意ある、まともな人間」を常に目指して決断し行動しなければ、アセンションへの道はないのです。
また、フランクルはアウシュビッツ強制収容所の中で、天使になった者と豚のごとくなった者もいたと言っています。
豚のごとくなった者は、もう何も興味が無く何もせず、ただ漫然と豚のごとく生きているだけとなり、天使になった者は、アウシ、ュビッツ強制収容所の中にあるガス室の中に堂々と「神に栄光あれ」と言ってアセンションしながら堂々入っていくことが出来たのです。
この天使になった者は、無条件の意味の無条件の信仰から「精神の反抗力(フランクル)」で堂々とガス室に入ることができたのであり、本当のアセンション(次元上昇、悟り)することができたのでした。
このアセンションした人間が最後に取った栄光ある精神的態度や行動を我々人間は、見習わなければならないのです。
「川でおぼれている人間を見たら飛び込んで助ける」、「困っている人を見つけたら助ける」、「何かの犠牲になって自分が最後を迎えてしまう」等です。
このような態度を取れるように「成る」ことが人間の本当のアセンションであり、その人間の精神的次元の上昇なのです。
なかなか、そういうアセンションをすることは難しいかもしれません。
しかし人間は「成るためにある」のですから、そう成るように努力をし、決断することによって、その時その時の状況に対する態度を、自分の神である自分の良心に問いかけ、「当為(こうであるべきこと)」の中から「存在(こうであること)」の中に実現させていくことはできるのです。
人間の一人一人の崇高な態度や行動が模範となり、波紋を広げ、人類全体のアセンションを実現させることができるのです。
アセンションへと努力しよう。
まずはこの文章を読んでいるあなたが救世主になることができるのかもしれないのです。
自分のできることから始めましょう。
まず困っている隣人をできる限り助けましょう。
ここで、私自身のことについては、棚に上げておきたいと思います。
なぜなら私自身はまだまだ、修行中の身なので、とてもアセンション(悟り、覚醒)までの道のりは遠いのです。・・・
そう成ることが理想であるということなのです。