自己超越

人間の「意味への意志」が目指すもの

2022/6/1

人間の「意味への意志」は人間の良心と深く関わっています。

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自己超越

自己超越としての「意味への意志」

2022/6/5

フランクルの「意味への意志」は自己超越的です。

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心理学

意味への意志

2022/4/24

「意味への意志」とは最も人間的な意志であり、人間が生きている意味を求める意志なのです。

このことが人間が単なるロボットやコンピューターではない証なのです。

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エネルギー

二つの意識レベル

2022/3/16

意識レベルには医療における意識レベルと魂(精神)の意識レベルの二つがあります。
この二つは全く別のものです。勘違いしないようにしましょう。

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自己超越

ユーモアは自己超越の能力です

2022/3/16

ユーモアは人間誰もが持っている自己超越の能力です。

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自己超越

人間の自由意志とは何か

2022/6/19

人間の自由意思は「錯覚であり、幻想である」ということが最近の科学的実験によって証明されてしまった!!・・・ようです。
人間の自由意志とは何なのでしょうか?

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人生哲学

フランクルの人生肯定的世界観

2022/5/8

フランクルは一貫して人生肯定的世界観を唱えています。

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スピリチュアル

アカシックレコードについて

2022/3/16

アカシックレコード論は仮説にすぎないのです。

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スピリチュアル

ワンネス意識

2021/8/14

ワンネスには神の存在の有無によって解釈が分かれます。

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自己超越

絶対絶望しない方法

2021/7/15

ココがポイント 絶望とは相対的な価値を絶対化することで起こる現象です。 ある一つの価値が絶対であることはありません。 絶望とは何でしょうか? 絶望するということはどういうことでしょう? 絶望した人は、絶望したその物事を絶対化し、これが最高の価値だと勝手に自己判断をしてしまっているのです。 価値というものは、相対的なものです。 ある人にとって、一つの価値というものは重要ですが、その一つの価値だけが、その人にとって、すべての価値ではないのです。 価値は人それぞれ様々であり、その人にとっての価値というものも、た ...

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自己超越

人間の「意味への意志」が目指すもの

ココがポイント

人間の「意味への意志」は人間の良心と深く関わっています。

「良心」を鍛えて自分自身以外のものを志向する

投稿記事「自己超越としての意味への意志」、「意味への意志」の中で自己超越は人間の本質であると言うことを考察してきました。

フランクルも指摘しているように人間は自分自身以外のものを志向する存在なのです。

関連記事・・・自己超越としての「意味への意志」意味への意志還元主義によるニヒリズム

今世の中は科学的な還元主義主義でニヒリズムが蔓延してしまっています。

還元主義によるニヒリズムが人間を退屈と無感動を増大させてしまっているのです。

退屈と無感動はさらに、人間の精神の倦怠を生んでしまい、自分自身以外の外部世界への志向を停止させてしまうのです。

退屈と無感動で人間は、今のままでは堕落への一歩手前となってしまいます。

この状態を回避するためには、人間の精神的次元を成長させて人間本来の意味を発見する「良心」を成長させ、自己超越性を持った意味への意志によって、ロゴス(意味)の世界から自分自身の究極的な、個人的、独自的な意味を発見できるようにしなければならないのです。

良心の覚醒

人間は自分の「良心」を覚醒させなければなりません。

フランクルは良心について次のように述べています。

われわれは無意味感の蔓延する時代に生きています。こんなわれわれの時代には、教育は、単に知識を伝えることだけではなく、良心を洗練することをも心掛けなければなりません。その結果、人間は、状況のひとつひとつに内在している命令を聞き取ることができるほどに耳ざとくなるのです。十戒がかくも多くの人々にとってその妥当性を失っているように見えるこの時代には、人間は、人生が直面させる一万の状況のうちに暗号化されている一万の命令を聞き取ることができるようにならなければなりません。そのときには、まさにこの彼の人生は新たに意味に満ちたもの思われるようになり、またそればかりか、画一主義や全体主義・・・あの実存的空虚の二つの併発症状・・・に対する免疫性も彼自身に与えられることでしょう。というのは、良心の覚醒によってのみ、人間は画一主義に同調したり全体主義に屈服したりしなくなるのですから。

意味への意志 春秋社 p28

として、良心を覚醒させることが必要だと言っています。

伝統が薄れてしまっている現代では、自分の良心に語りかけ、良心の声を聴き、今ここでの自分は一体何が重要な事柄なのかを把握しなければならないのです。

「意味発見の感覚器官である良心」が発見した人間の「個人的独自的意味」、これが状況に対する本当の「意味」なのです。

しかし、この人間の「良心の覚醒」には少しばかりの「勇気」が必要です。

「意味」は少しばかりの「勇気」を持てば発見できる

「勇気」は投稿記事「エネルギーレベル200を目指せ」において説明したように、人間の精神的なエネルギーレベル200程度で出せることができるのです。

また、「勇気」を出して行動を起こすにはモチベーション(やる気、意欲、動機)が必要です。

人間が人生の意味をさがす場合は、モチベーションを上げる必要があります。

人生の意味という目的を達成するために、達成動機を活用しましょう。

達成動機は「コイントスに見る人間のモチベーション」というブログ投稿記事で「その目的が達成できるかどうかの50パーセントの確率の時、つまり、一か八かの時、が最も勇気が湧く瞬間だ」と説明しました。

関連記事・・・エネルギーレベル200を目指せ!コイントスに見る人間のモチベーション 

もし、自分がいま発見した、その意味が、自分の本当の100パーセントの人生の意味かどうかということはだれにもわかりません。

しかし、これが本当の人生の意味かどうかが疑われるかもしれないけれど、自分の良心に問いかけて、それが本当の人生の意味である確率が目的の約半分くらい(だいたい50%くらい)かもしれない、と思えるなら勇気をもって、自分の「良心」を信じて一か八か行動や思考に移してやってみることをお勧めします。

人間は勇気を持ってロゴスの世界つまり意味の世界に足を踏み入れ、人生の意味を発見することに全力を傾ける必要があるのです。

人生の意味はただ待っているだけでは発見できません。

人間はついつい自分の人生から何が得られるのかを自問自答してしまいがちです。

しかし、フランクルはこれをコペルニクス的転回をして、

「人生から何が得られるのかではなく、自分は自分の人生に対して、自分は一体何ができるのかを考える必要がある」と言っています。。

人生に問うのではなく問われたものとして考えなければならないのです。

自分は自分の人生において、一体何ができるかを考え、絶えず努力することによって、自分の人生の意味が発見され、人生の意味が充足され、ここで初めて「自己実現」がなされるのです

「人生から何が得られるのか」と言う事は人生に対して受動的です。

それに対して、「自分は自分の人生に対して、自分は一体何ができるのか」と言う事は人生に対して能動的、積極的です。

問われたものとしての人間は、人生に対しての意味を自らの力で積極的に責任をもって発見しなければならないのです。

自分の人生の意味という目的が50パーセントの達成可能確率であるならば、全身全霊をもって自分の意味の感覚器官である良心を信じて行動や思考に移していきましょう。

関連記事・・・それでも人生にイエスと言う

誰に対しての責任で人生の意味を発見しなければならないのか?

「良心」とは、意味を発見するための感覚器官であると「意味への意志」というブログ投稿記事において考察しました。

関連記事・・・意味への意志

人間は意味を発見するための感覚器官である「良心」で、ロゴスの中から、自分の生きる意味を発見するのです。

「意味」とは「ロゴス」のことですが、ロゴスとは「こうであるべきである」ことが満ちている世界であり「神の世界なのです。

人間は「こうであるという現実」と「こうでなければなという理想」の狭間で生きています。

そして、できるだけ「こうであるべきであるという理想の世界(ロゴスの世界)」から「こうであるという現実の世界」に引き入れることで「意味」が明らかにされるのです。

存在と当為
ブログ投稿記事「存在と当為の間の溝」から

関連記事・・・存在と当為の間の溝

良心は、上記のように神が人間が今何をなすべきかという当為の世界(ロゴスの世界)に存在する神の声を聴くための感覚器官であるともいえるのです。

人間の状況に対する意味の発見は、神の声を聴くことのできる感覚器官である良心によって発見し、感じ取ったものである以上、その感じ取った意味は神に対する責任において発見したということになります。

人生の意味を発見する責任

当為の世界は「こうあるべきである世界」ですが、「こうであるべきである」と言う事は「すべきである」という、ある意味「するべき責任がある」と言う事が含まれています

それは神に対しての責任があるという事です。

フランクルは「無条件の意味への無条件の信仰」を提唱しています。

「無条件の意味への無条件の信仰」は神への基本的信頼が必要です。

関連記事・・・無条件の意味への、無条件の信仰

宗教的な人はこの基本的信頼と言う事がよくわかっています。

無神論者にこの基本的信頼を覚醒させるにはどうすればいいのでしょうか?

フランクルの次のように述べています。

では人間世界と神の世界の間の次元的相違に面して、人間がこの相違を認識することは、いかにしたら可能となるのであろうか。この可能性を理解するためには、我々は人間と動物との関係を考えさえすればよい。人間世界は動物の世界を含んでいる。ある点で人間は動物を理解できるが、動物は人間を理解できない。さて、人間と動物の比は神と人間の比といくらか似ている、というのが私の主張である。

意味への意志 ブレーン出版 p180

無神論者への理解は、「人間と動物」、「神と人間」と言うそれぞれの関係性を考えさせれば納得がいく可能性があるのではないでしょうか?

人間と動物

動物からは人間の行動が理解できません。

人間が遠くにボールを投げて犬に取りに行かせようとするとき、言葉やジェスチャーをしてもなかなか理解されない

人間が動物に対して、何度も同じことを繰り返し教えることによってやっとボールを取りに行けるようになります。

動物が病気やケガで病院に連れていくとき、動物はなぜ病院で手術や注射を打たれているか理解できずに暴れているだけ

動物が信頼している飼い主である人間が優しくなだめているので、おとなしくなり動物病院での治療を受けるようになります。

神と人間

人間には神の意向理解できません。

そこに神が与えた意味が最初からあるのに、人生には意味はないと言って、ただ嘆いているしかない人間

神を信じて、無条件の意味への無条件の信仰で、神に対する責任において、絶えず意味発見に努力して、自分は神が与えた人生に対して何ができるかを考え、その過程で人生の意味を発見することができます。

このように対比して考えてみればわかりやすいのではないでしょうか?

人間は飼われている動物と同じように、ただ運命に対してただ噛みついているだけに過ぎないのです。

「意味」は「無条件の意味への無条件の信仰」から、最も得られる

「フランクルの人生肯定的世界観」と言うブログ投稿記事の中の引用文面をもう一度見ていただきたいと思います。

・・・無条件の意味への無条件の信仰は、完全な敗北を英雄的勝利へと変えるかもしれないのある。これが可能だということは、我々の時代の多くの患者によって示されただけではなく、聖書の時代のパレスチナのどこかに住んでいた、一人の農夫によって示されていた。かれの場合は文字通りの穀物倉であった。その穀物倉は文字通りの空っぽであった。しかもなお、究極的意味に対する無条件の信頼と、究極的存在に対する無条件の信仰から、ババックは勝利の讃美歌を歌ったのである。

「いちじくの花は咲かなくとも、ブドウに木の実がみのらなくとも、そしてオリーブの仕事は失敗し、田畑は一粒の食べ物をももたらさず、羊は囲いから逃げてしまい、馬小屋に馬一匹たりともいなくとも、でも私は神を祝福し、神が私の救済をなされたことを喜びたい。」

意味への意思 ブレーン出版 p194

フランクルの述べている「無条件の意味への無条件の信仰」は上記の引用文のババックの言った勝利の讃美歌の内容そのものです。

このような心境になることによってはじめて得られる信仰なのです。

関連記事・・・無条件の意味への、無条件の信仰フランクルの人生肯定的世界観

究極的意味への無条件の信仰は究極的存在への信頼とは、すなわち神への信頼、神への信仰の問題になります。

人間は自己超越の能力があり自己超越は実存の本質ですが、このことが人間であることの基本です。

しかし、何の模範なしには本当の自己超越は可能とはなりません。       

人間には先導者が必要です。

人間は神を模範として人間の本当のあるべき姿を目指さなければならないのです。

新約聖書の中には

 「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」

新約聖書
マルコによる福音書 30節

と言う言葉が記されています。

このことは大変意味深長であり人間は神を「心の全体、魂の全体、能力の全体で愛する」べきであることを指摘しています。

人間は無条件の意味への無条件の信仰によって自分の神を信じて行動しなければならないのです。

そして、人間は自分の人生から何が得られるのかではなく自分の人生に対して一体何ができるのかを考える必要がある。

人生に問うのではなく問われたものとして考えなければなりません。

問われたものとしての責任ある自由が人間の自由なのです。

人間は自己超越の能力があり自己超越は実存の本質であるが、神に対する責任においてこの能力を使い、ロゴスの世界から、一つでも多くの当為をこの世界に実現させなければならないのです。

このことが人間であることの基本であり、使命であり、精神的次元上昇への道でもあるのです.

意味への意志が目指すもの

人間の「意味への意志」が目指すものは、「無条件の意味への無条件の意味への信仰」によって、ロゴスの世界の中から見つけ出されるべき「意味」であると言えるのです。

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私が使った商品ランキング№1

洗えるN95マスク

マスクをいろいろ試した中で一番良かったマスクです。

マスクは普通市販されているサージカルマスクでは本当に自分をウイルスから守ることはできません。

普通市販されているサージカルマスクは自分がコロナウイルスに罹った場合、人にうつさないという点では効果があります。

しかし、ウイルスから自分を守るためには、病院などで使われているN95マスクが良いのですが、値段が高く、何回も洗うことはできません。

今回紹介するこのマスクは、N95相当のマスクです。

このマスクは、濡れたタオルで軽く拭き、ドライヤーなどで高温抗菌処理することが出来ると、送品リンクにあります。

ということは、熱湯をかけても生地は傷まないということですので、私は以前は熱湯消毒をしてから、石鹸をつけて汚れた部分を手で丁寧に洗って干し、乾かして使ってていました。

今は、次亜塩素酸で抗菌してから石鹸で手洗いして陰干ししています。

洗濯機を使う場合は、記事を傷めないためにも、洗濯ネットを使って洗濯機でもいいと思います。

洗剤は界面活性剤入りの洗剤の方が抗菌になります。

私は二枚を一日ごとに洗って、交互に使っています。

二か月使っても型崩れしません。

三か月も使うと、さすがにマスクの紐の根元のところが取れたり、表や裏の不織布が破れることがありますが、その時は寿命だと思って捨てましょう。

このマスクの会社では、もっと安価なマスクもありますが、そちらは4層構造ですので、少し性能が落ちます。

今回紹介するマスクは5層構造になっていますのでより高性能です。

使用感は、顔にピッタリフィットして、1日中このマスクをしていても、耳に掛けるゴム紐で耳が痛くなったことはありません。

このマスクをかけて運動することはやめましょう、呼吸困難になります、N95マスクなので。

丸山式コイル ブラックアイ

初めは、こんなもので痛みが解消されるはずはないと思っていました。

まあ騙されたと思って、腱鞘炎の腕に貼ってみました。

夜お風呂に入った後、私は医療用の大きめの救急カットバンでこのコイルを張り付けました。

丸山式コイルブラックアイ専用貼り付けシールが添付されているのですが、少し小さくて剥がれて亡くす恐れがあるからです。

朝起きるとほとんど痛みが消えていてびっくりしました。

亡くさなければ何度でも使用できます。

明日は会社を休もうかと思うほど痛かったのですが、不思議でした。

痛み解消の説明いろいろありますが、

要するに人間の有害 な電磁波をコイルによって打ち消してしまうと言う様な事ではないかと思います。

爆速NURO光

ニューロ光導入前

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