この記事のココがポイント
フランクルは人間存在を説明する場合、独自の存在論を提唱しました。それが次元的存在論です。フランクルの次元的存在論は、人間存在を立体的に捉え3次元の空間に置いて考察しています。
人間における様々な症状
人間は元気な時や病気になった時には、実に様々な症状を表します。
身体的次元の症状
人間は元気な時は、体調がよく、はつらつとしています。しかし、病気の時は、頭が痛い、お腹が痛いなど身体的な要因で起こる症状が出ます。
これらは人間の「身体的な次元」の症状です。
心理的次元の症状
心理的には、人間は元気な時は気分爽快です。しかし、病気の時は、気が重い、気が進まない、気を病んでいるなど、心理的な症状が出ます。
これらは人間の「心理的な次元」の症状です。
精神的次元の症状
そして、人間が自分自身のことを考えている時(自分自身を客観的に考えている時、自分自身を笑っている時)や、自分は何で生きているのかと悩んでいる時、また、何のために生きているのかと悩んでいる時は、人間の「精神的な次元」の症状を示しているのです。
人間は健康な時でも、自分は何で生きているのかと悩み、最悪の場合、自分は無価値だとして、自殺してしまうこともあります。
この場合は、身体的には健康ですが、精神的には病んでいます。逆に、体が病気で不自由であっても、強い精神力を持って、社会的な活動を通して、社会貢献をしている人もいるのです。
これらのいろいろな人間の症状は、フランクルによれば「次元的存在論」の上で考えれば容易に理解できるとしているのです。
次元的存在論
フランクルの存在論はヒエラルキー的(階層的構造)な考え方を取ってはいません。
それは、人間の様々な症状を階層構造で表すと、身体、心、精神が全く別々に区別されたもの、と言う印象になってしまう恐れがあり、人間であることの統一性が理解できないことになるからです。
フランクルの次元的存在論とは、人間存在を二次元的な平面で考えるのではなく、三次元的な空間に、人間存在を置いて、そこに光を当て、二次元的平面に投影することによって、様々な形での症状が投影されるという考え方なのです。
人間は、時には身体的な症状が投影され、時には心理的症状が投影され、時には精神的症状が投影される、という考え方となっています。
フランクルはこの次元的存在論の考え方をすることによって、人間は多様な症状を表すけれども、それは統一された、一人の人間の独自性と一回性の中での人間の、ある部分が症状として出てきたものなのだ、ということを簡単に理解することができるというのです。
そして、人間には身体的次元、心理的次元、精神的次元があり、多様な面があるが、これらは三次元的空間で考えれば統一されているということであり、人間は多様の統一で成り立っているとするのです。
フランクルは
実存するということは、自己自身から出て、自己自身に向かって歩むことである。その場合、人間は身体的心理的なものの平面から出て、精神的なものの空間を通り、自ら自身に至るのである。実存(外に在る)ということは精神のうちにおいて行われるのである。実存(外にある)ということは精神のうちにおいて行われるのである。
神経症その理論と治療Ⅱ フランクル著作集第五巻 みすず書房 p97 新装版 神経症 第二部ロゴセラピーと実存分析 フランクル著作集第五巻 みすず書房 p97
と言っています。
精神的次元
体と心は因果律に基づいていますが、精神は自由であり、秩序の到底及ぶところではないのです。
関連記事・・・(体と心と精神について)
この精神的次元が人間の一回的、独自的な真実の、今ここで体験している世界に生きている、ということを実感することが出来る次元であり、フランクルのいう「精神の反抗力」を発揮することが出来る次元なのです。
精神は人間が現実に存在している実存的な次元なのです。
この精神における、「精神の反抗力」が絶望を勝利に転換できる可能性があるものなのです。
精神の反抗力は人間が、身体的、心理的にどのように制約されていても、誰にも制約することができない最後の砦なのです。
精神の反抗力については別のところで述べました。
関連記事・・・(無条件の意味への、無条件の信仰)
フランクルにおける人間存在の次元的存在論
身体的次元(「快楽への意思」によって機能する次元)
フロイトの世界、フロイトは、人間はリビドー(心的エネルギー)によって駆り立てられる存在だ、と主張しました。
「快楽への意思」という言葉は、フロイトの快楽原理を表している言葉であり、フランクルが造った言葉です。
心理的次元(「権力への意思」によって機能する次元)
アドラーの世界、アドラーは劣等感という言葉を造りました。
人は劣等感を克服するために権力を持つものだ、と主張したのです。
「権力への意思」という言葉はニーチェが造った言葉です。
「力への意思」とも呼ばれます。
精神的次元(「意味への意思」によって機能する次元)
精神的次元とはフランクルの言うもう一つの次元です。
人は意味や価値を求めるという「意味への意思」を持つ精神的な存在であると主張しました。
フランクルは、人間は意味への意思が欲求不満になると、快楽への意思(性欲)で満足するか、権力の意思(権勢欲)で満足しようとするというのです。
「意味への意思」という言葉はフランクルの造った言葉です。
フランクルは、人間は「快楽への意思」と「権力への意思」を調整しながら「意味への意思」を深めていく存在であるとするのです。