ココがポイント
心理療法には様々な技法がありますが、重要なことは技法ではなくて、セラピストとクライアントとの人間関係なのです。
セラピストとクライアントの人間関係
心身症の治療の結果は、主にその技法ではなくて、セラピスト(療法家)とクライアント(患者)との人間関係で決まってしまうのです。
ロゴセラピーの創始者であるフランクルのあるエピソード
フランクルのロゴセラピーの療法は、はクライアントの精神的人格に呼びかけ、患者の世界に対する態度を変容して、人生の意味を発見させ治癒に導こうとする療法です。
ロゴセラピーの創始者であるフランクルのあるエピソードがあります。
最近のことであるが、午前三時にある女性が私に電話をかけてきた。彼女は、自殺をすると決心したのであるが、そのことについて私が何というだろうか知りたいと話した。私は、そういう解決のしかたには反対であることと、生きていくべきことを、あらゆる論をつくして答えた。彼女がついに、命をを絶つようなことはしないで、私に会うために病院に来るといいだすまで、三〇分の間話したのである。しかし彼女が私のところへやって来たとき、私が聞かせた意見のただの一つも、彼女の心を打っていなかったことが分かった。彼女が自殺しまいと決心したただ一つの理由は、私が深夜の眠りを妨害されたのに怒りもせず、辛抱強く半時間も、彼女の話を聴いたり話したりしたこと、そして、このようなことが起こりうる世界は生きる価値のある世界に違いない、ということを彼女が発見したことである。
意味への意思 V・E・フランクル ブレーン出版 p7
このフランクルのエピソードの重要なことは、フランクルが熱心に30分もの間、ロゴセラピー的療法である、人生肯定的な世界観を話したことによって自殺を取りやめたのではなく、彼女の話をフランクルが熱心に半時間、話を聴いたり話し、たりしたことがきっかけで自殺を取りやめたことです。
もちろん、フランクルはロゴセラピーによって、人生が意味のあるものだということを説明して、彼女の人格的な態度変容を促したに違いないのですが、彼女はフランクルの話の内容ではなく、フランクルと彼女との出会いによる、30分間の対話をしたことがきっかけで自殺をやめているのです。
このことは、セラピーによる技法ではなくて、セラピストである、フランクルと、クライアントである彼女との間の、出会いによる、人間関係によって自殺が阻まれたのです。
この時、フランクルが朝早いので、患者に適当なことを言って紛らわして患者の話を聞き流していたら、事態はどうなったでしょうか?
フランクルの人間性によって、フランクルが、三〇分もの間、一生懸命に話を聴き、そして、話をした、ということが重要なファクターであったのです。
この時、患者はフランクルが、熱心に30分もの間、一生懸命に話を聴き、そして、話をしたことによって、フランクルの人間性に触れて、患者自身が「自己を超越」して、生きるという独自の意味を発見したのだと思います。
このことは、心理療法は技法ではなくて、重要なことはセラピストとクライアントとの人間関係であると言うことが、はっきりわかるエピソードなのです。
フランクルは、
我と汝の間の出会いは、真実の全体でも、話の全てでもあり得ない。人間存在の本質的な自己超越性が、人間をして、自己を超えて成長する存在たらしめるのである。それゆえ、もしマルチン・ブーハーがフェルディナント・エブナとともに、人間存在を基本的に我と汝の対話によって解釈するなら、我と汝が自分たち自身の外部にある意味を志向して、自分たち自身を超越しない限り、その対話は失敗するということをわれわれは認識しなければならない。
意味への意思 V・E・フランクル ブレーン出版 p7
このことは、セラピストとクライアントの出会いによる対話は、両者が自己を超越して、自分たち以外の客観的に精神的な世界であるロゴスを志向して対話するのでなければ、その話は失敗に終わると言っているのです。
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要するに、自分たちの内部にある、身体的なものとか、心理的なものとかをセラピーの中で論じるのはセラピーにとっては、マイナスであり、客観的に精神的なロゴス(生きていくうえでの価値)を志向しなければ真のセラピーではないというのです。
フランクルのロゴセラピーは、フランクル自身、数ある心療療法の補完として考えている
フランクルのロゴセラピーは、様々な心理療法の批判として成り立っているのではありません。
フランクルは、
私が実存分析やロゴセラピーで試みてきたことはけっして、今までの心理療法に代わることなどではなく、むしろただひとえに 心理療法を完全にすることであり、また、心理療法の基礎としていつも据えられる人間像を「完全な」ものにして、真の人間の全体像を打ち立てること、つまり、人間という本質の全次元的現実、人間をそして人間だけを特徴づけるあの現実を公平に評価しようと努めるかぎりで立体的であり浮彫りをもつような人間像を打ち立てることでもあります。
精神医学的人間像 フランクル著作集 第六巻 p109
と言っており、今までの心理療法を完全な形にするための、補完的役割を果たすものであるとしているのです。
フランクルは、人間存在を3つの次元に分け、身体的次元、心理的次元、精神的次元に分け、独自の次元的存在論を提唱しています。
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今までの心理療法は、人間を機械としか見ておらず、人間を人間としては見ていなかったと言っています。
人間は脳というコンピューターによって活動してはいますが、人間には、精神という自己超越的な部分があり、この人間の精神的次元が疎かに取り扱われており、この精神的次元を付け加えて人間の全次元を考慮した、本当の心理療法を構築しなけらばならないとしているのです。
心理療法の種類
心理療法(サイコセラピー)には実に様々なものがあります。
学門的には、臨床心理学においては、心理療法、精神医学においては精神療法と呼ばれます。
精神分析、行動療法、人間性心理学(来談者中心療法、存在論的心理療法、ゲシュタルト療法等)、認知療法、認知行動療法、アートセラピー、音楽療法など様々なセラピーがあります。
心理療法を行なう者をセラピスト(psychotherapist)、心理療法を受ける者(患者)をクライエント(client)と呼びます。
数ある心理療法の基礎は、フロイトの精神分析でした。
フロイトの精神分析
フロイトの精神療法は、患者を寝かせて自由連想法により、潜在意識を顕在化することに努めました。そして患者に、退行現象を起こさせ、幼いころのコンプレックス等(トラウマ・・・心的外傷)を呼び覚ませ、抑圧された感情を無意識の潜在意識から顕在化し意識化して解消するというものです。
フロイトの精神分析では、大体患者はセラピストの思った通りのことを口にするようになるのです。
つまり洗脳されてしまうのである。
精神分析では、過去のトラウマによるコンプレックスを顧みなければならないために、言いたくないことを患者は言わなければならないので、フランクルは暴露的心理療法であるとして批判しています。
スピリチュアル系の心理療法
スピリチュアル系の心理療法には、セプノセラピー(催眠療法)や前世療法等があります。
スピリチュアル系の心理療法は、通常の心理療法に比べると、もっと厄介で、患者の、無意識の真相心理を暴露していく心理療法であり、前世療法になるとさらに、現実世界とかけ離れた世界に患者の意識が還元され、違った意味で洗脳され行ってしまいます。
セプノセラピー(催眠療法)
セプノセラピー(催眠療法)とは、「催眠」と呼ばれる変性意識状態を利用して無意識の中にある潜在意識に働きかけ、心因性の問題の低減、解消を図るセラピーです。
前世療法
前世療法とは、セプノセラピー(催眠療法)を活用し、 催眠で得られた変性意識状態を利用して、前世のトラウマ(心的外傷)を意識し、ネガティブな感情と制限を、前世のイメージと共に顕在化し、それを開放することによって、前世のカルマ(業、行い)が解消するという療法です。
ロゴセラピーと精神分析の違い
フランクルのロゴセラピーではセラピストは、クライアントを寝かせる必要はないが、忍耐と寛容の気持ちで患者と接しなければならず、患者の過去のトラウマであるとか、患者もネガティブな、聞きたくないことを聴かなければならないとフランクルは言っています。
フランクルは、しばしば、ロゴセラピーと精神分析の違いを次の言い回しで説明しています。
「・・・精神分析では患者はソファーに見を横たえて、時には話すのが不快なことを話さなければなりません。」それに対して、私はただちにこう答えます。「いいですか、ロゴセラピーでは、患者は座ったままでも構いません。ただ、患者は、時には聞くのが不快なことを聞かなければならないのです。」
意味による癒し ロゴセラピー入門 V・E・フランクル 春秋社 p126
前世療法もフロイトの精神分析と同じく、クライアントである患者を寝かせて、前世を思い出してもらって、前世の記憶を呼び覚ますのですが、結局セラピストの思ったような前世の記憶になってしまい、セラピストによって洗脳されて行ってしまうのです。
スピリチュアル系の基本概念
スピリチュアルの世界ではユングの分析心理学の考え方が基本になっています。
ユングの分析心理学(カール・グスタフ・ユング)
スピリチュアル系ではスイスの分析心理学(ユング心理学)の創始者であるカール・グスタフ・ユングが有名であり、しばしばヒーラーやチャネラーがユングの名前を出し、その理論を論じています。
ユングは人間には、集合的無意識の中に古代から普遍的に受け継がれた人類共通の集合的無意識である「元型」があり、これを探っていけば患者の治療に役立つと考えたました。
元型が現れるのは、シンクロニシティ(共時性)によってです。
シンクロニシティ(共時性)とは、複数の出来事が意味的関連性を呈しながら、非因果的に同時に起きることです。
いわゆる意味ある偶然の一致というものです。
シンクロニシティ(共時性)は、現代のスピリチュアル系の基本概念になっています。
ユングはこの意味ある偶然の一致は古代の意識の元型があるからだということに、還元してしまいました。
この古代の元型に還元したことが、ユングの罪なのです。
現在でもユング心理学はスピリチュアル系のヒーリングやチャネリングに大きな影響を及ぼしているのです。
信仰宗教がカリスマ性を持つ人間によって人々を洗脳しているように、現代のヒーリングやチャネリングでも、結局ヒーラーの考え方や、チャネラーの考え方がクライアントに大きな影響を及ぼすのです。
人間の落とし穴は、弱い存在なので何かに頼りたいという願望が生じる
人間は自分では解決できないため外部依頼になるつまりヒーラーやセラピストに頼るという傾向があります。
つまり、人間は自分自身では目に見えない、精神的なマイナスイメージ(ネガティブ思考)を解決できないと思い込んでいるからです。
その思い込みが「ヒーラーやセラピストに頼る(相談する)ことになってしまうのです。
だから、ヒーラーやセラピストの思惑に乗りやすいのです。
全部のヒーラーやセラピストが悪い思惑でヒーリングやセラピーを行っているわけではありません。
ヒーリングやチャネリングなどによる心身症状改善
どのようなヒーリングでも、チャネリングでもクライアントのネガティブな感情が改善することがあります。
なぜ改善することがあるのでしょうか?
それはセラピストのとクライアントとの人間関係が重要なファクターになっているのです。
人間にはフランクルが言っているように、善意の人間とそうではない人間がいるものです。
クライアントがどちらの人間と人間関係を持つかでクライアントの将来が決まってきてしまうのです。
クライアントのが運よく善意のセラピストに当たればクライアントのネガティブ感情が改善することがあるのです。
セプノセラピーでも前世療法でも、精神分析と同じように、言いたくないことを患者は言わなければならないのです。
セプノセラピーでも前世療法でも結局は精神分析と同じく、結局、患者の過去の心理的なネガティブ思考を暴露していくという、暴露的心理療法なのです。
何とかセラピーとかはいろいろなセラピーがあるが結局セラピストとクライアントとの人間関係なのです。
症状が改善する場合もありますが、それはセラピーの種類ではなく、人間的な接触によって改善する場合があるということです。
病は気からということもあるので、精神分析であれ、催眠療法であれ、どのようなセラピーであってもセラピストの人格とクライアントの人格によって状況が変化するということなのです。
症状が改善する場合もあり、効果がない場合もあるのです。
つまりそれは、人間対人間だからであり、お互いの人間の人間性に掛かっているのです。
セラピストの精神的人格の影響
スピリチュアル系での心理療法では、現実世界とは遠くかけ離れているので、なおさら、セラピストの誘導尋問に導かれて行ってしまうのです。
そのために、セラピストとクライアントとの関係によって治癒の大きな影響を与えるのです。
このことは病院の医者と患者の間でも同じことで、医者と患者との人間関係でよくも悪くもなる場合があるのです。
まして、スピリチュアル的な目に見えない領域を扱うセプノセラピーや催眠療法などはセラピストの恣意性が入り心理誘導、つまり洗脳されてしまうのです。
目に見えない分野では、どうしても専門家の意見に権威性があり、それに患者が従ってしまうという人間の性があるのです。
このことは、宗教のも当てはまるのです。
宗教も、神は目に見えないので、権威性のある教祖によって洗脳されてしまうのです。
ここに目に見えない「神」を扱う宗教が外部の人間に左右されない、個人的宗教主義(実存的宗教主義)が提唱されなければならない所以があるのです。
ユングの分析心理学も本質主義です。
ユングの分析心理学によるセラピーも、結局は暴露的心理療法であり、セラピストの思ったような、元型である原始類型が導き出されてしまい、患者は分析心理学においても、暴露されるのを嫌がって言いたくないことを言わなければならないし、セラピストの思った通りの元型が導き出されてしまうのです。
フロイト派の精神分析が、人間の心を分解し「性的リビドー」に人間の本質を見出し、アドラーの個人心理学が「劣等感」に人間の本質を見出しました。
ユングは人間の古代の「元型」の中に集合的無意識という本質を見出して還元主義になりました。
フロイトの「性的リビドー」やアドラーの「劣等感」といったある要素が人間の本質だとする考え方が還元主義に陥るのです。
ある要素が本質であるということは、一面的な見方になり、運命論や決定論になってしまいます。
全体が見えなくなり、つまり「木を見て森を見ない」、ことになってしまうのです。
ユングもまた「集合的無意識」という要素が人間の本質であると考えてしまったため、本質主義に陥り一面的な考え方になってしまい、決定論や運命論になってしまっています。
患者自身の現実の世界で起きているその現実というものは、誰も代わることはできないものなのです。
しかし、その現実の状況を人間は引き受けることによって、はじめて精神的なアセンションが行われ本来の実存にまで高めることができるのです。
我々人間は、フロイトの「性的リビドー」やアドラーの「劣等感」やユングの「集合的無意識」によって将来を決定はされないし、運命付けなどはされないのです。
我々人間存在は将来の可能性の中から選び取る自由があり、社会的肉体的な条件にどのように制約されていようとも、自分の精神的な態度を変えることによって、自由に対して扉が開かれているのです。
フランクルのロゴセラピーは人格的態度療法です
この人間の態度の変容ということが、フランクルのロゴセラピーの真髄であり、患者の自由性と責任性に訴えかけて治療に導くのです。
ロゴセラピーは患者自身の態度を変容させることによって自分自身を治癒に導くという心理療法なのです。
フランクルは、
・・・それは症状をあまり問題とせずに、患者の人格に向けられるのです。こうして、それは症状に対する患者の態度を変えさせようとします。ロゴセラピーがまさに症状そのものに向けられるのではなく、一種の態度の変化、症状に対する個人的態度変換を導き出そうと試みるかぎり、ロゴセラピーは真の人格主義的心理療法なのです。
精神医学的人間像 フランクル著作集 第六巻 p31
と言っており、ロゴセラピーは人格主義的態度療法として位置付けています。
もっと言えば、人間の自由と責任性に訴えかけて、人間の精神的な態度の変容を促し患者の精神の反抗力(精神の抵抗力、精神の反発力、精神的拮抗作用)と言う、精神的な拮抗作用を起こさせ、患者を治癒に導くのです。
関連記事{フランクルのロゴセラピー(実存分析)}
よく考えてみてください。
催眠によって暴かれた、過去のトラウマを意識化してそれを心理的に解消したとして、患者の現実が変わるのでしょうか?
前世療法によって前世のトラウマを解消したからと言って、現実が変わるのでしょうか?
我々人間は前世にも後世にも生きていないのです。
人間は実存的な存在です。
今ここに生きているのです。
今ここで起きている現実のことから逃げて、現実逃避をしても、何も問題も解決しません。
現実と真摯に向き合い、精神的次元を上昇させて、
現実問題を堂々と向き合って解決していくという努力が人間に与えられた試練なのです。
セプノセラピーや前世療法にあまり意味はないのではないでしょうか。
過去の幼児期体験や前世がどのようであれ、我々は今ここで生きているのです。
「今ここで」が重要であると認識して生きなければ現実問題は解決しません。
現実と正々堂々と向き合わなければならないのです。
そうでなければ、生きているということにはならないのです。
われわれ人間は、人生は無常でありな悪い事しか得られないので意味がない、と考えるのではなく、
フランクルが言うように、
人生に対して態度を変更して、われわれ人間は、一体何をすれば、生きがいのある、意味ある人生にすることが出来るか、ということを考えなければならないないのです。(人生に対するコペルニクス的転回)
そのことが、自分の精神的次元を上昇させ、アセンションへと導くことになるのです。
関連記事・・・「随所に主と作る」とはフランクルの人生哲学です