心理学

AIに精神学の構築方法を聴いてみた

2024/11/21

「心理学」に継ぐ「精神学」の構築をAIに聴いてみた。

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心理学

心理学における三つの勢力

2024/11/13

心理学の歴史において三大勢力ということが良く言われます。

この三という言葉が心理学に関するキーワードとなっています。

少し整理しましょう。

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心理療法

心理療法は技法が優先するのか

2024/10/27

心理療法は技法ではなく人間関係が問題です。

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フランクル 実存哲学

実存分析とフランクルのロゴセラピー

2024/10/22

フランクルのロゴセラピーは実存哲学が基礎です。

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伝統

伝統の崩壊

2024/3/18

伝統は崩壊するものです。
しかし、本当の伝統は心の中にあります。

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スピリチュアル

臨死体験と精神について

2023/10/9

精神は対外離脱をした幽体と同じであり、やがてアカシックレコードに吸収されていくのでしょう。

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精神的次元上昇への道

宇宙と人間の精神性

2023/10/7

宇宙の中で人間はどう生きなければならないのでしょうか?

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精神的次元上昇への道

「精神的次元上昇への道」を歩む目的

2023/1/8

「精神的次元上昇への道」の目的とは自分自身が変わることです。

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人生哲学 自己超越

人間の存在意味

2024/7/27

「人間存在の意味を探求すること」が「精神的次元上昇への道」となるのです。

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アドラー 勇気 心理学 心理療法 自己超越

アドラー心理学(個人心理学)とロゴセラピー(実存分析)

2022/11/28

個人心理学と実存分析、この二つの心理学派には全体論、主体論、目的論と言った共通点があります。しかし、個人心理学には足りないものがあります。

それは「勇気」における「謙虚さ」です。

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フランクル

フランクルのロゴセラピー

2020年10月7日

この記事のココがポイント

フランクルは、フロイドやアドラーに師事しながら、独自の心理療法であるロゴセラピーを提唱しました。

この記事では、ロゴセラピーの技法については述べていません。

技法についてはこちら・・・フランクルのロゴセラピーと森田療法

私はフランクルのロゴセラピーが現代の人間の生き方を示唆していると思われるので、ロゴセラピーの中にある真髄と思われるフランクルの哲学について述べてみたいと思います。

ロゴセラピーは絶望を勝利に転換できる

フランクルのロゴセラピーは絶望を勝利に転換する方法を示唆します。

フランクルによれば、人間には身体的、心理的欲求不満に陥ることがあるが、精神的な欲求不満もあるといいます。

これをフランクルは実存的欲求不満と言っています。

例えば人生には何の意味も価値もないという不満や、自分は何のために生きているのかという不満、これらをフランクルは実存的欲求不満だと言いいます。

この実存的欲求不満こそが人間であるということなのです。

実存的欲求不満は、自分は何なのか、何者なのか、何のために生きているのか、という人間存在の問いの不満です。

しかし、フランクルは、人間とは本来意味を求める存在であり、人生の意味を自分の努力で探求し、見つけ出すものであり、問われたものとしての存在が、本来の人間存在であるというのです。

人間の人生は、いつか、何もしないで、待っていれば、何かをもたらしてくれるのでしょうか?

それは、そうではないということです。

「人生から何が得られるか」ではなくて、「自分が人生に対して何ができるのかを問われている存在」です。

人間は自分の人生に責任をもって何ができるのかを絶えず考え、常に行動によって正しい答えを出さなければならないのです。

これを、フランクルは人生への問いのコペルニクス的転回だと言っています。

このコペルニクス的転回によって、人間の意識、自分の人生への心構え、自分の人生と向き会う態度等の変容を促し、人間は絶望を勝利に転換することができるとするのです。

苦悩の価値

フランクルによれば人間は体験価値、創造価値、苦悩の価値(態度価値)を人生の中で見つけ意味で満たす責任があり、苦悩の価値が一番高い価値であるとするのです。

人間が病気や、怪我や、社会的な問題等により最も精神的に追いつめられた時、身体的、心理的に様々な制約が掛かりますが。

この制約された場合、その状況に対して取る、人間の崇高な精神的な態度が最も人間の価値の高い苦悩の価値(態度価値)とするのです。

この時の人間の態度は神の態度と同等のものであると思われるのです。

例えば、水に溺れている人を、何も考えずに飛び込んで助けようとする態度、また、何かや誰かのために自分が、犠牲となって行われる態度等です。

人間が人間である所以は、基本的に自分自身以外の何かや、誰かのために生きているということなのです。

これが本来の実存であり、自分だけのことを考えている時は、大体は病気の時なのです。

自分の眼球何か対象物を見るものなので、眼球自身は眼球を見ることはできないし、人間が自分の眼球を考える時は、何か白内障とかの眼球の病気であることが多いのです。

この崇高な態度価値と言うものは、自分自身を超越しない限りなし得ないものです。

自己超越は実存の本質

フランクルは、

自己超越が実存の本質である。人間であることは、それ自身以外の何ものかにさしむけられていることを意味する。

意味への意思 ブレーン出版 p61

自己超越は実存の本質です。人間であることは自分自身よりも他の何か重要なものに方向づけられているということです。

絶望から希望を導くために 春土社 p86 (意味への意思 ブレーン出版増補版)

と述べています。

自己超越とは自分自身を客観的に見ることが出来る能力です。

つまり、自己客観視の能力なのです。

人間であるならば、誰でも本来的に持っている能力なのです。

自己客観視の能力(人間のこの能力は、人間の脳の中にある松果体のなせる業だと思われます。)は、人間存在の最も重要な自己超越の能力なのです。

世阿弥の言葉で「離見の見」という言葉があります。

これも、自分自身から離れて、自分を客観的に見ることです。

この自己客観視の能力はフランクルの次元的存在論で言うところの、人間の精神的次元の能力です。

この精神的次元では、精神の反抗力という能力というものも使うことができます。

関連記事・・・ フランクルの次元的存在論

この精神の反抗力という能力は身体的、心理的に拘束されても誰にも拘束することはできません。

人間はこの「精神の反抗力」(フランクル)によって病める身体的病気や、外部からの心理的圧力にも耐えることができるのです。

この精神の反抗力を利用するのが、フランクルの実存分析によるロゴセラピーの基本なのです。

また、遠く離れた愛すべき人を、精神の中で思う時、そこに行って実際に会っているかのような感覚になることができます。

これも人間の自己超越の能力です。

これが、別の次元に行くことができる能力です。

アセンション(悟り)は誰にでもできる基本的能力だといえるのです。

この態度価値は、どのようにして生まれるのでしょうか。

人間はフランクルによれば、決断する存在(ヤスパース)であり、その時、その時どうするかを自分で決断して行動しているというのです。

最も確かなものは「良心」である

その決断はいったい人間のどこから行われるのでしょうか。

最も確かなものは「良心」であるとフランクルは言っています。

この良心との対話によって人間は自分の行動を決めているのです。

良心とは神の真理であり、誰でも持っているものです。

良心とは「良い」「心」と書きます。

それでは悪い人間は一体どうなっているのでしょうか。

人間は実存主義が言うように自由な存在です、悪いこともできるほど自由に作られているのです。(アヌンナキによって自由であるように作られたのです。)

人間は個人個人の日々の「決断」によって、その個人の善悪が形成されていくのです。

悪いことをする人間はすべて悪い人間か、というとそうではありません。

フランクルは、アウシュビッツでナチスの親衛隊の中に一片のパンを囚人に配っている者や、囚人を助けた親衛隊もいたというのです。

人間は次の瞬間にどうなるかは誰にもわかりません、その人間の次の「決断」がその人間を作っていくのです。

フランクルは人間はそこに在るためにあるのではなくて、あるものに成るために在る、のだと言っています。

人間が自分で成りたいものに成るために、人間は「決断」していくのです。

悪い人間は悪い決断をして悪くなっていき、良い人間は良いことを決断して良くなっていくのです。

ということは、悪い人間も次の瞬間に良くなり、良い人間も次の瞬間に悪くなるということもあるのです。

人間は良くも悪くもなれるような、「自由な存在」として作られている存在なのです。

自由と責任

人間は自由ではありますが、そこには責任というものが付加されなければなりません。

自由と責任は表裏一体です。

我々は自由であるがその自由は「勝手気ままな自由」ではありません。

「責任ある自由」が人間には求められます。

フランクルは実存哲学では人間の自由について説いているが、その自由が何からかの自由についてだけで、責任があるために自由であるとことについては、述べていない、として実存哲学を修正しています。

この責任は誰の前での責任なのかをフランクルは、はっきりとは言及していませんが、「神の前での責任だ」ということを述べているのだと思うのです。

フランクルのロゴセラピーによる治療は有神論者にも無神論者にも行わなければならないので言及は避けているのだと思われるのです。

ロゴセラピーの主張は無条件の意味への無条件の信仰である

前に述べたように(存在と当為の間の溝)、人間は存在こうである世界、現実世界、実在、ザイン)と当為こうでなければならない世界、なすべきこと、神の世界、ゾルレン)の間で苦悩しますが、もっと当為の世界に目を向け世の中にある何万という戒律を努力によって見極めなければなりません。

ここで、人間を犬に、神を人間に置き換えてみましょう。

人間が犬に対して、遠くにあるボールを取ってくるように、ボールの方向に指を指しているとします。

すると犬は何のことかわからず、人間がボールを指した指をただ見ているだけで、人間が望んでいる行動に移すことが最初はできないのです。

このことを想像してみれば一目瞭然です。(フランクル説)

犬は訓練することによってボールを取ってくるという行動ができるようになるのです。

人間は神が何を察しているのかを、努力によって見極めなければならないのです。

この訓練は仏教では修行と呼ばれるものです。人間は修行するために生きているといっても過言ではないのです。

これは難しいことではありません、別に山に籠って断食をしろと言っているわけではないのです。

フランクルの言う「ロゴス」の世界、つまりいわば神が人間に与えた人間の「生命の無条件的意味の世界」があることを信じて、常に自分自身の努力によって意味を探求し、見つけていけばいいのです(無条件の意味への無条件の信仰)。

この意味は人によって、それぞれ違い、日によっても、時間によっても違ってきます。

大事なことは、その時々に意味はそれぞれ一つしかないのです。

それを人間の決断による行動で発見していくのです。(フランクル)

この発見によって人間は自分の精神的な態度を決断し、態度価値を高めていくのです。

アセンション、アセンションとよく言われるが、この無条件の意味の探求過程が本当のアセンションなのです。

人間は当為の中に、こうでなければならない世界の中にある、何千何万という戒律を日々の修行の中で悟り(覚醒)や、神の世界にある、なすべきことを現実の世界の中で行動に移して実行していかなければならない責任があるのです。

この精神的な悟り(覚醒)、これが本来の精神的次元の上昇(アセンション)と呼ばれるものなのです。

人間の「無条件の意味への無条件の信仰(無条件の意味への、無条件の信仰)」による生き方は精神的次元の上昇に繋がり、悟りへの道なのです。

すなわち、精神的次元上昇への道なのです。

フランクルの主張は「無条件の意味への無条件の信仰」だと言っても過言ではありません。

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