この記事のココがポイント
人間は一人では生きられません。
「アセンションするのは個人個人」であると、「アセンションとは何か?」と言う題で、このブログの中で述べました。
人間は、個人個人の内なる神との対話によってアセンションするのです。
しかし、もし自分は本当に、アセンションしたからと言って、人間は一人では生きていけないのです。
人間は一人では生きられない
しかし、人間は一人では生きていくことはできません。
自分と同じ考え方の人など、なかなかいません。
それでは、自分とは違う人と他人が、お互いに協調的に生きていくためには、どうすればよいでしょうか?
最も重要なことは、人と人とが、互いに相手を尊重し、共感と理解的な援助による、人間関係を作ることが、出来るかどうかに係っています。
現代の多くの人間は何らかの組織に属しています。
「組織になると人間性は失われる」、と言うことも「アセンションとは何か?」と言う題で、このブログの中で述べました。
互いに相手を尊重し、理解的な援助による、人間関係を作ることが出来れば、組織においても人間化ができ、共感し合うことができるのです。
組織の中で、共感と理解的援助関係が出来てくると、互いに自分を見つめ直し、自己啓発が深まり、アセンションがしやすくなります。
そして、互いに連帯して協調し、生きる意味、生き甲斐と言うものを見出すことが出来るのです。
そのためには、まずコミュニケーションが円滑に行わなければなりません。
人間は自分の気持ちを伝える時には言葉と言うものを使います。
人間が生きていくためには、空気や水、食べ物が必要です。
それと同じように刺激が必要です。
人間は「人」の「間」と書きます、人間は、「人」の「間」に在って、生かされている、ということが、真実なのです。
人間は、人と人との関わり合いの中で、刺激をもらい、人生をより豊かにすることができるのです。
通常人間は、この刺激をコミュニケーションと言う形で行っています。
まず、コミュニケーションの道具として、人間は、言葉と言うものを使います。
この言葉と言葉のやりとり、と言うのは、時には、肌と肌の触れ合い以上に、人間にとって重要なファクターとなっています。
コミュニケーションの取り方
今、学校では「書き方」は勉強しますが、「話し方」と言うのは勉強していません。
話はその人に聞いてもらう、分かってもらうという努力をしないと、伝わらないのです。
話下手な人がいます。
話下手な人は、自分の心に障害があるのです。
話下手な人は、
こんなことを言うと、人から非難されるのではないか。
人から非難されるから話したくない。
こんなことを言うと、馬鹿にされるのではないか。
人から馬鹿にされるから話したくない。
こんなことを言うと、無視されるのではないか。
人から無視されるから話したくない。
と言った思いがあり、何時になっても、自ら話をすることが出来なくなってしまうのです。
コミュニケーションにおいて、相手に分かってもらおう、という努力をする必要があります。
この、言葉と言葉のやりとりの上で、「相手に分かってもらおうとする努力」と言ったような、コミュニケーションの基本が、現代において、ないがしろにされているのです。
挨拶から始めよう
まず、人間がコミュニケーションを始めようとする時には、「挨拶」と言うことから始めなければなりません。
人と人が出会って、最初にすることは挨拶です。
挨拶というのは、自分の心を開いて、相手に迫る、という意味です。
挨拶は人間と人間とが関係づけられる第一歩なのです。
(オ)おはようございます。
朝の挨拶の言葉。
(ア)ありがとうございます。
相手に対する感謝・お礼の言葉。
(シ)しつれいします。
「失礼します。」には様々な解釈があります。
敬意を表す言葉
部屋に入る時など、空間に入っていく時の敬意を表す言葉として使われます。また、部屋を退室する時にも使われます。
退室する時には、「失礼しました。」という場合もあります。
さらに、失礼いたします。失礼いたしました。と言ったような、さらに丁寧な言い方をする場合もあります。
「お邪魔します」の意味の言葉
人に話をする時や、話を聞いてもらう時など、その人の時間をいただくことになるので、それに対するお邪魔をするという気持ちの言葉、として使われます。
(ス)すみません。
「すみません」は、お詫びの言葉ですが、ビジネスの場合は、「申し訳ございません。」「大変失礼いたしました。」となります。
今の現実の、この乾いた砂漠社会には、(オ)(ア)(シ)(ス)と言う、挨拶による、憩いの場、が必要なのです。
まず挨拶から始めましょう。
コミュニケーションによる共感と理解的援助関係
次に、正しい人間関係を作っていくためには、正しいコミュニケーションを行っていかなければなりません。
我々人間は空気や水と同じように言葉と言葉のやりとりが重要です。
この言葉と言葉のやり取りを、コミュニケーションというのです。
挨拶の次に必要なのは、正しい会話、正しいコミュニケーションということになります。
このコミュニケーションにおいて、重要になるのが、来談者中心療法の創始者カールロジャーズ(人間性心理学)の積極的傾聴法(アクティブリスニング)です。
積極的傾聴法(アクティブリスニング)というのは、相手の立場を考えながら、無条件に積極的に、相手の感情まで読み取って、聴くという方法です。
カールロジャーズは、相手(来談者)に無条件の肯定的な関心を持つこと、そして共感的に理解することを重要視しました。
このことは、実は大変難しいことなのです。
通常人間は、ただ話を聞いています。
聞という文字は門と耳がという二文字で成り立っています。
つまり耳(みみ)に門(もん)をして、ただ聞いているだけなのです。
しかし、本当は「聞く」ではなくて「聴く」でなければならないのです。
聴くという文字には、耳と、目と、心という文字が含まれています。
耳と目と心を使って聴かなければならないのです。
ただ話を「聞く」のではなくて、「積極的に聴かなければならない」のです。
「聞く(ただ聞くだけ)」ではなく、「聴く(積極的に聴く)」でなければならないのです。
積極的に聴くには、まず相手を尊重し、忍耐と寛容の態度で相手に、接しなければなりません。
人間が、お互いに積極的に傾聴するようになれば、相互理解による援助関係が生まれ、共感できるようになるのです。
話は相手を理解しなければならない
大体、人間は話し合いをする時は、
相手のことは考えない。
自分のことだけを話している。
相手が話している途中で、急に話しを挟んだりする。
自分のことばかり話している。
言い合い、になってしまっている。
と言うのが現状なのです。
まず相手を十分に理解しようと努力して、相手の話を、積極的に聴こうとしなければ「相互理解による援助関係」は成り立たず、「共感」はできないのです。
相手を互いに理解することによって相互理解がなされるのです。
ここに共感が生まれるのです。
これは、いざやってみると大変疲れる聴き方なのです。
アセンションして精神的次元の上昇している人でなければ、なかなかできない技であると言えます。
ヒーリングやチャネリングをやられる方は、アセンション、アセンションという前に、まず、人間のコミュニケーション能力を高めなければ、アセンションすることなど、ありえないのです。
まず、コミュニケーション能力を高め、人間同士の相互理解によって、共感し、暖かい理解的援助による、人間関係を作っていかなければ、アセンションは始まらないのです。
我と汝の対話からの次元上昇
さて、これで真のコミュニケーションが出来て共感による、理解的援助関係ができたとします。
しかし、これではまだ次元上昇にはなっていません。
人と人の対話は自分達だけの話で、終わってはならないのです。
宗教哲学者マルティン・ブーハーは、「我」と「汝」の対話によって世界は開けていくとしています。
フランクルはその、「我」と「汝」の対話は、自分たち自身の外部にある「意味」を志向して、自分たちを超越しない限り、その対話は失敗すると言っています。
我と汝の対話は、自分たち以外の意味や価値を語って、自分たちを超越しない限り、「単なる対話」になってしまうのです。
さて、人間にはコミュニケーションが必要であると前に述べました。
人間は、エンカウンター(心と心の交流)や、出会いや、一期一会(生涯で一度しか出会わない、という気持ちで人に接すること)ということが、実は大変重要なことなのです。
人と人が真に「出会う」ということは、お互いの存在の意味を持って、相互に出会うということなのです(フランクル)。
この時にカールロジャーズの「積極的傾聴法(アクティブリスニング)」が取り上げられなければならないのです。
この積極的傾聴法によって、相互にお互いの「存在の意味」を持て出会い、その対話が、次元を超えた対話になり、アセンションが起こっていくのです。
私たちは、自分達以外の、意味や価値を語り合うことによって、
現在の「存在(こうである世界)」の次元に「当為(神の世界)」から、
様々な戒律や人間がなすべき事柄を、
現実の世界に、導き出す、
という努力をしなければならないのです。
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それが神から与えられた人間の使命なのです。
このような努力があって初めて本当のアセンションというものが始まるのです。
そうしなければ五次元、六次元の世界などには到底行けないのです。
宇宙との繋がりにおいても相互理解と共感が必要です、そうでなければ永遠に高次元の存在と対等に分かり合うことはできないのです。
我々人間は、忍耐と寛容の気持ちで、高次元の存在達と対話し、アセンションしなければなりません。
このように思っているのは、高次元の存在の方、かもしれないのです。