ココがポイント
まずは、エネルギーレベル200を目指して精神的次元上昇をしよう!
「パワーかフォースか」の本ついての・・とある会話
知らない。
僕としてはご飯にはソースじゃなくて醤油がいいな
「パワーかソースか」(おっとつられてしまった)じゃなくて、「パワーかフォースか」という本に書かれていることだよ。
見えない人間の意識をある程度数値化して数字で見えるようにしたって訳さ。
人間はある刺激を受けると、それに対してある反射が反ってくるんだ。
そして、ある何万人かの人間に対して、ある特定の質問をして「イエス」か「ノー」かで回答し、その時の筋肉の反射テスト(キネシオロジーテスト)を行い、その結果に基づいて意識レベルの計測を行っていったんだよ。
だからこのエネルギー(意識)レベルの数字は膨大な量の測定結果を基に導き出された数値ということが言えるんだ。
右端の図は僕が、後で本の内容を要約して記入したんだ。
この真ん中の赤い点て、何なの?
意識レベル200以上にならないとネガティブなエネルギーになってしまい関わる人に対してマイナスの影響を与えてしまんだよ。
見てごらんこの意識の臨界点の意識レベル、勇気はレベル200だよ!フォース君も意識の臨界点を突破することができたじゃないか。
やればできるんだよ。おめでとう!
「意識レベル」とは通常は医療における意識の覚醒度を示す指標です。
医療における意識レベルは身体的次元の意識レベルです。
ここで言っている「意識レベル」は精神的次元の意識の発達段階を言っています。
このことはフランクルの次元的存在論の上で考えなければ説明できず混乱してしまいます。
ここでは医療における「意識レベル」と区別するために「エネルギーレベル」ということに呼び方を変えます。
医療においては身体的な意識レベルが低下した状態を意識混濁といいます。 意識混濁は、傾眠・昏迷・半昏睡・昏睡に分類されます。
勇気があればエネルギー(意識)レベル200は越えられる
「パワーかフォースか」の著者でデヴィッド・R・ホーキンズは人間はレベル200以上でポジティブな領域に入ると言って、この意識の臨界点を強調しています。
そして、測定する人間も、測定される人間も共に、この意識レベル200以上の人間で、しかも測定する人間も、測定される人間も共に、誠実性を保たなければなりません。そうでなければ、正確な測定はできないとしています。
エネルギー(意識)レベル200以下の人間が測定を行うと、ネガティブな感情が介入してしまい、正確な測定ができないそうです。
人間はまず、エネルギー(意識)レベル200つまり、「勇気」を持つことに目を向けなければならないのです。
エネルギー(意識)レベル200の勇気について
「勇気」のレベルにおいて、初めて「パワー」が到来します。したがって様々な能力が生まれるレベルであり。探求、達成、忍耐力、決断力の領域です。・・・
「勇気」とは、新しいものを試みながら、人生の変化と挑戦に立ち向かう意欲を意味します。このレベルではさまざまな能力が与えられるので、人間は難問にも対処できるようになり、やってくるチャンスをうまく生かすことができます。
改訂版 パワーかフォースか デヴィッド・R・ホーキンズ署著 p120
この記事の中で、レベル200は探求、達成、忍耐力、決断力の領域であると言っています。
また、
パワーと健康のこの悪循環を避けるために、人はどのようにネガティブな態度に打ち勝てばよいのでしょうか?それには、患者はある「決心」をしなければならないということが臨床的な知見からも示されています。心から変わりたいという願望によって、さまざまな形でより高いアトラクターのエネルギーパターンを発見することができます。・・・
本当に必要なのは、ただ高いエネルギーフィールドに自らをさらすことです。そうすれば、人間の内面的な態度も自発的に変化し始めるでしょう。
・・・一般的な伝統医学では、ストレスが疾患と病気の原因であると診断しています。しかし、この診断の問題点は、正確にストレスの源を探ろうとしていないことです。すべてのストレスが人間の態度によって内部的に作り出されるということを知らずに、外部的な状況だけを非難するようになっています。
・・・私たちの態度は、私たちの視点から来ています。そしてその視点は、動機とその事情に関係しています。解釈次第で、同じ状況も、悲惨にも笑いの種にもなるのです。生理学的に言えば、態度の選択において、人体を活発にするエンドルフィンを選ぶか、衰弱させるアドレナリンを選ぶかだということです。
改訂版 パワーかフォースか デヴィッド・R・ホーキンズ署著 p274
と言っています。
フランクルは、自分の心理療法を人格的態度療法と銘打っており、人間の態度を、逆説志向(自分の嫌なものを逆に志向するように勧める)によて変更させて症状を回復させる精神療法を行っています。
つまり、人間は外部要因に対して、どのような「態度」を取るか、「勇気ある決心(決断)」によって今ある状況を変えることができということなのです。
人間は、勇気をもって決断する時、最もパワーが出るのです。
人間が勇気を待って決断する時は、必ず迷いというものが生じます。
しかし、人間は思いは半分のままで、全力を出すことができます。
このことは、
という記事でも説明しました。
自分自身を信じて自分が正しいと思ったことは、勇気をもって是非やってみてください。
そうすれば必ず「神」は微笑んでくれます。
エネルギー(意識)レベル200以下は「体と心」が病んでいる状態
意識レベル上の意識の臨界点すなわち、エネルギー(意識)レベル200以下を意識のマップをよく見てみましょう。
まず意識のマップの上半分を見てください。
マップの上半分は、意識は自分自身以外の物に対して向けられています。
これに対して下半分は、意識が自分の内面に対して向けられていることがわかります。
要するに、エネルギー(意識)レベル200以下の意識は自分自身に対して向けられているのに対して、エネルギー(意識)レベル200以上は自分以外のものに意識が向けられているのです。
この意識のマップに書かれている言葉のニュアンスから、もう一度読み見直してみてください。
私が投稿した、フランクルのロゴセラピーと森田療法
というブログの中で、フランクルが「自己超越は実存の本質である」ことを言っているということを書きました。
また人間は自分自身以外のものを志向して生きている、志向性を持った存在であるということも書きました。
人間のエネルギー(意識)レベルなどという以前から、フランクルは、自己超越は実存の本質であることを指摘していたのです。
「意識のマッ」プにおいて「超越」は350です。
つまり、もともと人間はエネルギー(意識)レベルは350の数字位置を持っているということなのです。
人間は生まれてから、人によって異なりますが、ある程度の年齢から、自我が目覚めます。
自我が生まれた時には、個人差はあっても、すでに350ぐらいのエネルギー(意識)レベルを持っているのです。
人間は自分自身を信頼しなければなりません。
もっとも確かなものは「良心」であるとフランクルは言っています。
自己を超越するということは自分自身以外のものに身をゆだねることなのです。
この意識のマップはフランクルの思想を数字で表してくれており、分かりやすくしてくれたようなものとして私としては、画期的だと思いました。
人間は自分自身に意識が向いているときは「体」か「心」が病気なのです。
自分自身以外のもの、ある何か、またはある何か、ある誰か、究極的には神のために、無条件の意味への無条件の信仰によって生きることが、エネルギー(意識)レベル1000の悟りへの道、つまり「精神的次元上昇への道」なのです。
意識のマップは無神論者は有効ではない
被験者自身の意識レベルが200以下である場合はこのテクニックは有効ではありません。最近ではさらにテストを行う人が無神論者であった場合も、このテクニックは有効でないことがわかりました。
改訂版 パワーかフォースか デヴィッド・R・ホーキンズ署著 p387
この事は、意識のマップは無神論者に対しては当てはまらないということになります。
ちなみに無神論者は意識レベルは200以下となっているそうです。
このことは、実に興味深いことです。