ココがポイント
フロイト・アドラー・ユングの三人の古典的心理療法学派とフランクルの人間観の間における最大の違いは、最終的には、人間の内部意識の世界に治療方法を見つけるか、それとも人間の外部の世界にあるものに治療方法を見つけるかです。
古典的心理療法学派における基本的人物にフロイト、アドラー、ユングと言う偉大な三人の名前が心理学において、いつも挙げられています。心理学の三大勢力、三大潮流、三大巨頭とか呼ばれています。
そこに、このブログでも取り上げているオーストリアの精神科医フランクルが付け加えられます。
フランクルは、オーストリアのウイーンで生まれ、ウイーン大学でフロイトやアドラーに師事したことで、「第三ウイーン学派」とも呼ばれています。
アドラー、ユング、フランクルは全員、フロイトに従事していましたが、後にそれぞれの考え方の違いにより袂を分かっています。
フランクルの心理学は基本的にフロイト、アドラー、ユングとは一線を引く人間観があります。
フランクルは今までの古典的心理療法学派の療法を決して否定しているのではなく、その補完としての心理療法であるとしています。
フランクルは、古典的心理療法学派の療法の人間観に加え、「人間の自己超越の概念とあわせて、「ある物体」ではなく掛け替えのない一人の人間としての精神的人格を見ること」を取り入れたうえで療法を考える必要があるとするのです。
下記の表はわかりやすく簡素化した、それぞれの心理学における人間観を表したものです。
ここで少し古典的心理療法学派を見ていきましょう。
古典的心理療法学派の概要
まず、古典的心理学派の人間観を考察してみたいと思います。
精神分析(フロイト)の概要
精神分析は、オーストリアのジークムント・フロイト(1856~1939)が提唱しました。
精神分析的精神療法のことを力動的精神療法とも呼びます。
力動的心理学
フロイトは始めは自然科学者として出発しており、自然科学、中でも「力学」から借りてきた概念を使い、心理力動論を展開しました。
彼の理論が、力動的心理学主義と呼ばれるのも、これらのことが基本概念となっているからです。
彼の理論は、心的事象を原因と結果の連鎖とみなし,原因に重点をおきながら全体を力動的にとらえ,体系的に解明しようとする心理学体系となっています。
リビドー
フロイトの人間観は、基本的には、無意識のリビドーによる性的衝動性によって行動していると考えています。
人間の内面的な性的衝動面のみをみている。
フロイトは人間は、無意識のリビドーによって駆り立てられおり、人間のもっともらしい仮面や、体裁をつくろった行動の裏には「合理化(言い訳)」や「投影(否認)」と呼ばれる行動規制が働いており、リビドーが噴出してくるのを必死で抑えている存在であると規定したのです。
フロイトはリビドーの噴出を抑えるために防衛機制と言うものが人間にはあり、自分の欲求不満を、別のより高度で社会的に認められる目標に目を向け自己実現を図ろうとするとしており、これを「昇華」と呼びました。
人間観
人間は無意識のリビドーによって駆り立てられる存在として人間存在を捉えています。
人間を性的なリビドーという要素に還元して、これが人間の本質であるとみなしました。
個人心理学(アドラー)の概要
オーストリアのアルフレット・アドラー(1870~1937)は、個人心理学創始者です。
アドラーの個人心理学の基本概念があります。
目的論
個人の悩みは、過去の問題に起因するものではなく、自分が未来をどのようにしたいという目的に起因して行動しているとするのです。
自分が本当に生きたい人生を、主体的、積極的に生きていくことを推奨します。
個人の主体性、全体論
アドラーは、個人心理学と言われるように、人間を、ある要素の集合体ではなく、それ以上分解できない個人として捉えています。
個人と言う全体が目標に向かっているとするのです。
人間はすべて横の関係であり、すべての人間の悩みは対人関係(人間関係)の悩みである
人間は社会的動物なので、すべての人間の悩みは人間関係、対人関係の悩みであるとします。
ひととの関係は、横の関係であり、そう考えることで劣等感に苛まれることが少なくなるというのです。
認知論
人間は、事物は現象学的にとらえれば、自分の主観で事物を捉えているとします。
自分の主観を疑って事物を考えるという考え方です。
共同体感情(共同体感覚)
共同体感情(共同体感覚)とは、仲間のつながり,絆の感情(感覚)を持つことです。
共同体感情(共同体感覚)を持つには、自分や他人に困難な状況を克服するための、勇気づけ(アドバイス)が必要であり、勇気づけによって、劣等感が補償され、理想的な共同体感覚を持つことができ、幸福になれるとするのです。
人間観
人間社会の中の共同体感情によって、規制されているとするのです。
アドラー説では、人間は社会的要因である環境、教育と言うものが人間を決定づけています。
フランクルは、個人心理学について次のように言っています。
・・・すなわち、アルフレート・アドラーの説にしたがうと、共同体に対する人間の態度や構えを決定するのは、個人的なものではなく、社会的なものそれ自体なのです。すなわち・・・個人心理学を信用してよいとすれば・・・人間の環境、教育、そして環界がこの場合決定的なのです。
精神医学的人間像 フランクル著作集 第6巻 p13
アドラーの人間観は、社会的な困難な状況に対応するために共同体感覚を養い、勇気を持って自分の劣等感を克服し、自分が本当に生きたい幸せな人生を歩むという人間観です。
アドラーの心理学はフランクルの心理学に少し共通点が見られます。アドラーの「共同体感情」と言う概念が、他人ばかりでなく宇宙全体にまで及んでいます。フランクルも人間を超越したものを志向するという考え方にあるので、突き詰めればフランクの言う「ロゴス」の世界をも含めるという考え方に行き着くのではないでしょうか。(この問題については、またのブログ記事で考察したいと思います。)
分析心理学(ユング)の概要
スイスのカール・グスタフ・ユング(1875~1961)は分析心理学創始者です。
ユングは、フロイトの言う、個人の意識、無意識を分析するという点では共通です。
集合的無意識(普遍的無意識)
ユングは、無意識の中に、人類の共通な普遍的な無意識があり、それを集合的無意識と名付けました。
ユングは、無意識をより深く考察することにより、夢分析や、オカルト、宗教なども取り入れ研究を重ねました。
人間の心の動きは、意識や、認識を超えて、集合的無意識の働きが、人間の心を支配していると考えたのです。
人類共通のシンボル,象徴がありここに昔からの古代元型を見いだしました。
人間の中の無意識には人間の普遍的な集合的無意識があり無意識の中に古代元型があることを指摘しました。
シンクロニシティ(共時性、意味のある偶然の一致)の提唱
元型が表層意識に出現した事象。
シンクロニシティはオカルト的な概念ですが、そのことがスピリチュアル業界に大きな影響を与えています。
性格
人間の性格には大きく分けて内向的、外向的と二つの傾向があるとしました。
その他に、思考、感情、感覚、直観と言ったタイプ別考察がユングの分析心理学なのです。
人間観
人間の集合的無意識が人間の行動規制を行っているという人間観です。
ユングの心理療法は、宗教儀式のようなものとなってしまっています。
実存分析(ロゴセラピー)
オーストリアのビクトール・エミール・フランクル(1905~1997)はロゴセラピー(実存分析)創始者です。
人間は、客観的な意味や価値によって行動していると考えている。
フロイト、アドラー、ユングの三人とフランクルとの人間観の違い
ここでまた、もう一度、古典的心理療法学派の表を振り返って見てみましょう。
この表の人間観の違いについて考察しましょう。
フロイト
フロイトの人間観は人間は無意識のリビドーによって駆り立てられる存在として捉えています。これは要するに人間の内部にある無意識のリビドーが人間に影響を与えていると捉えているのです。
アドラー
アドラーの人間観は、人間の内部にある社会的な共同体感情に規制されている存在として捉えています。これは要するに人間の内部にある共同体感情が人間に影響を与えていると捉えているのです。
ユング
ユングの人間観は人間の内部意識にある、集合的無意識niyoて規制されている存在として捉えています。これは要するに人間の内部意識にある集合的無意識が人間に影響を与えていると捉えているのです。
フランクル
フランクルの人間観は、人間自分以外の外部にある意味のあるものや、価値のあるものが人間に影響を与えていると捉えているのです。
フランクルの人間観と他の三人の人間観の違いは、人間の内部に目を向けるか、外部のものを志向するかの違いです。
人間を動かしているものとは何でしょうか?
人間を動かしているものとは何でしょうか?
フロイト、アドラー、ユングの三人とフランクルとの人間観の違いの違いは人間を動かしているものの原点にあります。
下記の表は古典的心理学派が「人間を動かしているもの」が何なのかを簡素化してわかりやすくしたものです。
古典的心理療法の人間観からわかる「人間を動かしているもの」には、人間の内部にあるものか、外部にあるものかで違ってくるのです。
フランクルの人間観は自分自身以外の意味や価値によって人間は動いているとしています。
フランクルは「自己超越は実存の本質である」として人間が自己を超越する存在であることを指摘しているのです。
そして、人間は自分自身以外の客観的な意味や価値に牽引されて生きる存在であるとしています。
別のブログ記事において、人間は自分自身以外のものを志向していることを考察しました。
関連記事・・・自己超越としての「意味への意志」
フランクルは、
・・・しかし、実存は本質的に自己超越にある。したがってそれは自己実現にあるのではない。即ち、人間本来の重要性は、自分自身の実現にあるのではなく、価値の実現や意味の可能性の充足にあり、その意味の可能性は、自分自身の中とか、自分の内に閉ざされたものとしての心理の中に、と言うよりも世界内に見出されるべきものなのである。
フランクル 現代人の病 丸善 p84
と述べており、人間は人間自身の内部にあるものより、自分自身を超越した「意味や価値」を志向することが本来の人間である主張しています。
さらにフランクルは、
人が実際に必要とするものは、恒常性ではなく、私が精神力学とと呼ぶもの、即ち実現されるべき具体的な意味や、満たされるべき人格的存在意味に向かって人を確実に位置づけることによっておこる当然の緊張なのである。これはまた、人の心の健康を保持するものであり、ストレス状態から逃れることは自分を実存的空虚の餌食にしてしまうのである。
人に必要なのは緊張のない状態ではなく、探求するだけの価値あるものへの努力であり、戦いなのである。人に必要なものは、緊張から免れることではなく、他人によってではなく、まさに自分自身によって満たしていくべき人格的存在の具体的な意味への挑戦(心がまえ)である。
フランクル 現代人の病 丸善 p85
として、人間には心と体を一定の状態に保つ恒常性の原理(ホメオスタシスの原理)が働いており、今までの心理療法は人間の恒常性に重きを置きこれを利用して治癒に導こうとしていたが、人間の内部にある恒常性に目を向けるのではなく、その人間が、志向している客観的な意味や価値に目を向けて努力しており、心理療法家はそれを援助してやることが治療において重要であることを指摘しているのです。
今までの心理療法は、精神分析のように、抑圧されたリビドーを解消させようといろいろ分析したり、個人心理学のように共同体感覚を勇気を持たせて養い、社会にうまく適応させたり、分析心理学のように、ある性格を分析し、原子類型を呼び起こしたり、要するに人間の内部意識(無意識)を考察して、治療の妥協点を見いだすというやり方でした。
要するにこれらの治療は、人間の内部にある恒常性の原理を利用して無意識からの束縛を解消させ、本来の自分を回復させるというやり方なのです。
フランクルはの治療方法は、人間の人生における意味や価値を自由と責任において探求させるように患者に訴えかけ、患者の人生に対する態度(心がまえ)を変容させ、患者の神経症的気質を忘れさせるという、人格的態度療法なのです。
フランクルは、次のように述べています。
人に必要なのは緊張のない状態ではなく、探求するだけの価値あるものへの努力であり、戦いなのである。人に必要なものは、緊張から免れることではなく、他人によってではなく、まさに自分自身によって満たして行くべき人格的存在の具体的な意味への挑戦(心がまえ)である。主観と客観との間の緊張は、健康や全体性を損なうものではなくむしろ強めるものである。
フランクル 現代人の病 丸善 p85
関連記事・・・(主観と客観との間の緊張は、存在と当為との間の緊張と同じ)存在と当為の間の溝
そして、
もし療法家が自分の患者の心の健康を強めたいと望むならば、その患者に責任の重荷をためらうことなく増加させるべきなのである。
フランクル 現代人の病 丸善 p85
フランクルは心理療法の治療方法には患者への責任性への教育(患者の人生の意味や価値を探求することについての責任)が必要不可欠であると述べています。