ココがポイント
ワンネスには神の存在の有無によって解釈が分かれます。
ワンネス意識ということがスピリチュアルの世界でよく使われます。
ワンネスとは何でしょうか?
ワンネスの定義
ワンネスとは、宇宙にあるものすべての元は一つであるということが基本概念になっています。
では宇宙とは何でしょうか?
宇宙とは何か
宇宙には目に「見える宇宙」と「見えない宇宙」があります。
目に見える宇宙
- 宇宙空間
- 時間と空間
- エネルギーと物質・暮らしているこの世界
目に見えない宇宙
- 魂、精神、意識
- 次元、並行世界
- 光や愛などのエネルギー
- 神
- 創造主
- 大元(おおもと)
元は一つとは何か
すべての始まりは何かを論じる時、物理学で宇宙の始まりとはビッグバンであり、スピリチュアルの世界では宇宙は「無」から始まったとされています。
どちらも何もないところ「無」から始まっていると言われています。
ここで、無という概念の定義はありません。
無自体は言葉やイメージに出来ないからです。
この無が意識を持ち、自我が目覚めて宇宙が誕生したと考えることがワンネス意識ということなのです。
このことから、人間の意識は元は一つというワンネス意識が生まれたのです。
このワンネス意識には、二つの考え方があります。
① 一つは無とは「神」自身であり、ワンネス意識は神の意識だという考え方
② もう一つは、ワンネス意識は、意識という単なるエネルギーの集合体(集合意識)であるという考え方
共通点はワンネス意識は、波動であり宇宙に漂っているその意識を人間は脳というコンピューターで受信して意識を形成している、というのが現代でのワンネス意識の考え方です。
現代では、スピリチュアルと科学である量子物理学の概念をも取り入れて論じられています。
有神論的ワンネスと無神論的ワンネス
ワンネスには神が存在するか、存在しないかによって二つの解釈があります。
有神論的ワンネス
有神論的ワンネスでは、「神」は自分ではポジティブ体験やネガティブ体験ができないので、「神」が人間一人ひとりに、それらを体験させるために魂、精神、感情、意識といったものを人間や、その他宇宙にあるものすべてに与えたとするのです。
有神論的ワンネスでは、 私たち人間は、「神」が何らかの使命を与えてこの世に存在させたと考えるのです。
一人ひとりの人生は神が与えた試練であり、それにどのように答えることができるかを示さなければならないのです。
そして、この世で起こっている現実は神が体験するために必要な意味のある、重要な物事なのです。
有神論的ワンネスの概念を箇条書きにすれば、次のようなエッセンスが含まれます。
- 無(宇宙)を神的角度から捉えるワンネスの考え方
- 私たち人間は神の派生物であり、神から分離されたもので最終的に神に帰化するものであると捉える。
- ワンネスとは神の分離から統合へと至るプロセスである
- 神の愛や光に近づくほど真理であり悟りである
- 神と同化することが悟り
- 神的ワンネス意識の覚醒
- 徳を積んで魂を成長させる
- 高次元へのシフト
- 高次元存在神にアクセス
- 神に近づく
無神論的ワンネス
無神論的ワンネスでは、宇宙意識という意識の集合体である単なる集合意識にすぎません。
そこには何の意味も目的もなく、人間や宇宙全体の意識空間の集合体であり人間は、脳というコンピューターで、ただアカシックレコードある情報を受信したり、そこに送信して意識を保存したりしているに過ぎないとするのです。
アカシックレコードとは、元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念(ウキペディアより)
無神論的ワンネスの概念を箇条書きにすれば次、のようなエッセンスが含まれます。
- エネルギー的角度から捉えるワンネスの考え方
- 無をエネルギー的な角度から見る
- 無と私には上下関係はない
- 無は宇宙であり私でもある
- 私たちはエネルギーの個性や表現の違いだけである
- 私も神も今ここで統合している
- 善悪や光や闇などの真理はない
- ミクロで見るかマクロで見るか
- エネルギー的ワンネス意識の覚醒
- 本当の自分に戻るプロセス
- 内面重視
- 無とか神がフラットなため、わかりにくい
- 自分は何者なのかという認識が、生まれた時からすべてが誕生した、宇宙の始まりは自分であり他人である
人間には先導者が必要である
ワンネス意識と言うものをただのエネルギー的な意識に還元してはなりません。
意識を単なるホログラム的なバーチャル意識に還元してはならないのです。
アカシックレコードは、もっと神聖なものとして畏敬の念を払わなければなりません。
人間には、神という先導者が必要です。
そうでないと、人間は絶対的な真善美に努力して到達しようとする意欲がなくなってしまい、何のために生きているかわからなくなるからです。
人間は価値ある何かや誰か、究極的には神のために生きることによって本来の人間になりうるのです。
だから「・・・のために」という言葉があるのです。
人間は自分自身以外の物を志向する存在であるとビクトル・フランクルは述べています。
人間は精神的な存在です。
人間は精神的にある何かを志向している存在なのです。
人間は自分と、自分以外のものを志向するときには、「主観的精神的努力である愛」によって、物事を志向しますが、その時に対象を認識する時に、緊張状態が生じます。
これが愛による認識作用です。
関連記事・・・量子力学とスピリチュアルと愛
量子力学において、粒子は波と波動との二つの性質があると言われています。
粒子は観察することによって粒としての性質が現れます。
実際にはこの世界が三次元なので、三次元においては粒子は粒として存在し、波の性質は別の次元でしか見ることはできないのだと思われます。
しかし、人間の主観的精神的努力である愛によって事物が認識される時、人間は別の次元に行くことができ、本当の事物の姿が認識されるのです。
この愛による事物の認識作用によって「客観的精神的な意味の世界であるロゴス」の中に人間は生き甲斐を見出すことができるのです。
人間は神の体験として、絶対的な真善美を体験するために、 主観的精神的努力である「愛」 を神が与えたのです。
人間は絶対的な真善美というものを体験する責任が神に対してあるのです。
人間は、絶対的な真・善・美 というポジティブな体験ばかりだけではなく、ネガティブな体験例えば、ヤスパースの言う限界状況(死,苦、争、責)言うものも、人間は精神的向上のために体験しなければなりません。
人間は、愛の認識作用によって、神の絶対的真善美を体験するためにこの世に存在しているのです。
しかし、だからと言って神と自分が一つになることは危険です。
自分と神が一緒になる時、人間は努力する目的がなくなってしまうからです。
存在と当為の間はいつも緊張状態にしなければなりません。
ここに人間の進歩があるのですから。
関連記事・・・存在と当為の間の溝