ココがポイント
「精神的次元上昇への道」の目的とは自分自身が変わることです。
精神的次元上昇への道は何のためにあるのでしょうか?
このブログにおいて、人間は基本的に本来、自分の精神的次元が上昇することを強く望んでいると考え、それを一人でも多くの人が自覚し、精神的次元が上昇を促すようにするために、フランクルの言葉を借りて説明するようにしています。
それでは最終的には何のために人間は「精神的次元上昇への道」を歩んでいくのでしょうか?
ある程度精神的な次元の高い人は、正義感から周りの人間に世界がよりよくなるように、自分なりに教訓じみたものを伝えようとします。
しかし、なかなか周りの人々は変わろうとはしない、それが世の人間の常なのです。
フランクル自身も強制収容所から奇跡的に生還していますが、強制収容所からの生還者の中の少数の勇気ある人々が、世の中に強制収容所の中での出来事を話し、世の中をよい方向に向かうようにしたいと動いたとしても少しも驚くことではありません。
フランクルはある一人の強制収容所から解放されたある人物の、制収容所の中での出来事の苦悩の意味について自分の著書で次のように述べています。
その人物とは、イェフダ・ベーコンと言うイスラエルの優れた芸術家でした。
「少年の頃、私は『人々がもっととよい方に変わるように,ぼくが見たことをみんなに話そう』と考えた。だが、人々は変わりもしなければ、知ろうとさえしなかったのである。私が苦悩の意味を本当に理解したのは、ずっと後になってからである。苦悩は、それが汝をよい方に変えるならば、意味を持つことができるのである」と。
意味への意志 V・Eフランクル ブレーン出版 p94
「少年だった私は考えた。『私が見たことをみんなに話そう、そうすれば人々はよりよい方へと変わっていくだろうから。』だが人々は変わらなかったし、知ろうとさえしなかったのである。苦悩の本当の意味を理解したのは、ずっと後になってからだった。苦悩は、汝をよりよい方へと変えるならば、意味をもち得るものであるのだ、ということを」。
絶望から希望を導くために V・Eフランクル p127(意味への意志 V・Eフランクル ブレーン出版増補版)
著作によって翻訳の仕方に違いはありますが、自分自身がより良くなることが意味があることだと述べられています。
人は、誰かから説教じみた言葉をかけらることに、嫌悪感を覚えます。
ですから、誰か他の人間から説教されたところで実際の本人は、なにも変わろうとはせず、ただ聞き流してしまうだけなのです。
基本的に人間存在の大部分は精神的な次元はあまり高くは作られていないのです。
人間は自分自身が本当に心から決断しない限り自分自身のこととは考えません。
人が人を諭(さと)すことはかえって逆効果となってしまうのです。
宗教やスピリチュアル的な説教で変わってしまうことはありますが、それは洗脳的な要素が多々あります。
人間は他者の介入によって自分の信念が変わってしまうことがありますが、洗脳的なものによって変わることは絶対にあってはならないのです。
自分の意志によって自分自身が変わるのでなければ、変わったことにはならないのです。
自分自身の自由意志によって変わらなければならない
自分が変わるということは、具体的には自分の「良心」に問いかけながら精神的次元を上昇させ変わるということです。
結局自分自身が、自分で変わると言う事が最も重要なのです。
人は自分自身の意志で、自分自身が良い方向に進むことができたならばそれは、十分に「意味」があることなのです。
本来の「人生の意味」とは、自分自身がより良い方向に精神的次元を上昇させることなのです。
自分自身が変わることに気づくことが重要
精神的次元上昇への道を歩まなければならないと気付いた人が最終的には精神的次元上昇を遂げることができるのです。
結局、結論は精神的次元上昇をすることを自分自身が気づき、自分自身が変わることが最も重要だということです。