ココがポイント
絶望とは相対的な価値を絶対化することで起こる現象です。
ある一つの価値が絶対であることはありません。
絶望とは何でしょうか?
絶望するということはどういうことでしょう?
絶望した人は、絶望したその物事を絶対化し、これが最高の価値だと勝手に自己判断をしてしまっているのです。
価値というものは、相対的なものです。
ある人にとって、一つの価値というものは重要ですが、その一つの価値だけが、その人にとって、すべての価値ではないのです。
価値は人それぞれ様々であり、その人にとっての価値というものも、ただ一つだけではないのです。
絶望した人は、色々な価値が相対的に周りにあるのに、一つの価値を絶対化して、その一つの価値が絶対的な価値であると、自分自身で決めつけてしまったために、絶望することになってしまうのです。
絶望しないためには、色々ある価値の中の一つの価値を絶対化しなければいいのです。
一つの価値を絶対化しないためにはどうすればいいのでしょうか?
それは、「何物にも心を囚われないようにする」ことです。
仏教では「無」になることです。
そんなことは仏門に入って、修行僧にでもならなければ出来るわけないのでは、と考えてしまいます。
仏教では人間に108つの煩悩があると言います。
この108つの煩悩を修行によって、無くすことができれば本当の「無」になることができて、「悟りを開く」ことができると言います。
人間は本当に、悟りを開くことができれば、絶望するということも無いのでしょう。
しかし、普通の人間では、なかなかそのような「悟りの境地」に成ることは難しいのです。
一つの価値を絶対化しないこと
一般的な人間が、絶望しないようにするためにはどうしたらいいのでしょうか?
一つの価値を絶対化し、それが崩れ落ち、無くなった時に、人間は絶望するのです。
だから、自分の中にある価値を、自分自身の中で常に、相対化しておけばいいのです。
つまり、価値は一つではないことを普段から頭に入れておけばいいのです。
フランクルは「自己超越は実存の本質である」と言いました。
この自己超越の能力を使って、価値の絶対化を防ぐ訓練を普段からしておくのです。
価値の相対化訓練
一つの価値が絶対ではなくて、相対的だと考えることは、普通の人間が普段から考えることはあまりないでしょう。
何が自分にとって一体どのくらいの価値があるのか、ということを考えながら日常を過ごしている人はあまりいない
自分にとっての価値とは何なのか考えてみましょう?
・自分の配偶者や子供の価値
・自分の親の価値
・兄弟姉妹の価値
・親友の価値
・家や財産の価値
・仕事や趣味の価値
・研究等の価値
・その他の価値
自分にとっての価値というものは人それぞれ違うので上記以外にもあるでしょう。
これらについて何が自分にとって価値あるものなのか、じっくり考えたことがあるでしょうか?
価値の相対化訓練を行う
価値の相対化訓練を日々の日常の中で自分自身の精神的次元ので行います。
人間の精神的次元は自己超越の領域であり、自己客観視ができる場所でもあります。
人間はこの精神的次元において、自分の事を別の視点から、客観的に考えることができるのです。
自分自身の客観化は、普段の生活においては、時間や余裕がないのでなかなか難しいかもしれません。
もし、生活が忙しくて気が散って考えられないようでしたら、マインドフルネス瞑想をして、メタ認知を行ってください。
冷静な精神状態でメタ認知ができる自己超越状態を5分でもいいから作ります。
関連記事・・・マインドフルネスやメタ認知は、自己超越の能力です。
次に、ノート等に自分が大事にしている「物」や「事」を箇条書きで、書き出していきます。
さらに、それらの一つ一つの事柄について、線を引いて、「もしこれが無かったらとしたら」どうなるかを意識の中でシュミレーションしてみましょう。
出来ればノート等に自分自身はその時どうなってしまうか、その時の自分の意識や行動等を書き出してみましょう。
そして、無くなったとしたら、その価値は絶対的なものかどうか、絶望しなければならないか、絶望した時はどう対処するか、あるいは他にもっと違った価値感でその価値を補えないかを考えて、ノートに書き出してみるのです。
ノートに書き出していくうちに、優先順位のようなものはあると思いますが、価値は一つだけでは無いことがわかってくると思います。
ノートに書き出すことによって、そこに書かれている物事がいかに大事なものであることが、よりはっきりと見えてくるのではないでしょうか?
このように、自己超越によって、客観的に物事を考えると、普段自分で思っている価値は一つではなく、価値は相対的なものであることが
自己超越の能力で分かって来るのです。
価値の相対化訓練による価値の再確認
価値の相対化訓練によって自分の中にある価値の相対化ができると、自分は何のために生きているのかということはわかってくると思います。
また、自分自身以外の様々な物に感謝の念が生じるようになります。
人間は、普段の日常生活の中で、あまり「価値」について考えたりはしないものです。
事故や災害とか、何かのきっかけで、何かの価値を失うことになった時に初めてその価値が、価値のある物であることに気づくのです。
事故や災害とか発生する前に、前もって精神的次元において価値のシュミレーションを行うことが価値の相対化訓練なのです。
価値の相対化訓練で、いかに今の自分が幸せであるのかがわかり、今ここでの現状がはっきりしてきます。
人間は今の現状が幸せであると思わなければなりません。
上を見ても下を見てもきりがありません。
今の自分自身を幸せであるという自己肯定的世界観で生きることが重要なのです。
だからこそ、価値の相対化訓練を普段からしておけば、毎日を有意義に過ごすことができるのです。
今ここで生きていることが奇跡
価値の相対化によて、今ここに生きていることの重大さがわかってきます。
そして、自分以外の価値についても畏敬の念が湧いてきたと思います。
ここで、もう一つ重要な事柄があります。
価値の相対化訓練で自分の身近な価値について考えました。
今度はもう少し、グローバルな見方をしてみましょう。
最後にスピリチュアルや占い、量子物理学等で言われているように、もし宇宙や太陽系や地球がな何かで亡くなてしまったとしたら、生きている意味がないのではないかという疑問が残ります。
よくネットで、「地球に生命が生まれた確率は10の4万乗分の1でこれは、プールの中に腕時計の部品を投げ込んで、水の流れだけで時計が組み立てられるのと同じくらいの確立である」と言われています。
これについては様々な意見があります。
しかし、要するにそれだけ今自分自身がこの地球上で生きていること自体が、奇跡であるということがわかる例えだとは思わないでしょうか?
私たちは、今ここで生きていることに感謝して生きていかなければなりません。
価値の相対化訓練によって、今、というこの瞬間を感謝して、生きていけるようになったのではないでしょうか。
人間は、今この地球に生きて存在しているということ自体が幸せなのだということが、普段の生活の中では忘れ去られてしまっているのです。
私たちは、明日この地球が無くなったとしても今ここでを感謝して生きなければならないのです。
人間の生きる意味は、何でしょう?
人間は自分自身以外の何かの価値を志向して生きています。
人間の五感を考えてみてくだい。
五感は自分自身以外の物を把握するために出来ています。
五感が自分自身を志向する時は、病気の時だけなのです。
人間は、自分自身以外の価値のために、自分自身をも犠牲にして生きていくことが人間に与えられた使命なのです。
究極的にはフランクルの言っている、無条件の意味への無条件の信仰によって生きるべきなのです。
そして、私たちは「神」以外には何も恐れる必要はないのです。
関連記事・・・無条件の意味への、無条件の信仰