
40年以上にわたり、私はフランクルに関する日本語訳の本や、それに関する本を買いあさり、現在まで趣味で独自に研究してきました。私は素人ですが、フランクルの理論の中に人間が本来持っている、精神的な力(フランクルの言う精神の反抗力)を引き出し、精神を成長させていくことができる何か、があるのではないかと思っています。
この精神的な力は、人間の身体的ダメージや、心理的ダメージや、社会的ダメージがきて、絶望に陥っても対処ができるのです。
今までの心理学は、人間の内部にある身体的な部分と心理的な部分の相互作用の解明に向けて、ヴィルヘルム・ブント以来実験心理学として研究が行われてきました。
そして、今では心身相関の基本的事実が明らかにされ、人間は外部から自由に操作ができるロボットであるということを証明してきたのです。
そしてさらに、今度は心理学的な面だけにとどまらず、レヴィ・ストロースが構造主義心理学への道を築いてしまいました。このことは、フランクルの言う「人間の精神性」を通り越して民族や言語という「社会的な要因」へと心理学の研究が向いてしまったと言えます。
現代の心理学は、人間をどのようにすれば、こちらの思う通りに動かすことができるか、ということを研究対象にし、それらを数値化し、統計的に把握し、このデーターを利用し、様々なビジネスにおいて使われてきたのです。
フランクルは、哲学者や科学者が人間を物として扱ってきたその代償がアウシュビッツなどの収容所所を作ったと冷ややかに述べています。
フランクルは独自の人間観を提唱しており、それを次元的存在論と呼びました。ここで人間を身体、心理、精神の3つに分け、マズローのような階層ではなく、立体的三次元構造として人間を見たのです。そして、人間の精神は身体的、心理的、社会的なあらゆる状況に対して融通無碍であり、絶対的自由であることを、アウシュビッツにおいて自ら証明しました。
このフランクルの言う「精神」というものが、ロボットではなく本来の人間の人間的な部分であるとしたのです。
このフランクルの言う「精神」への研究が、私は人間における目下の急務であると考えます。
今こそ、心理学は原点に返り。哲学と心理学を合わせるときが来たのではないでしょうか。
そして、心理学ではなく精神学といたもっと次元の高い分野に目を向ける時なのではないでしょうか。
フランクルは、アウシュビッツ強制収容所において、「死ぬことより、まず哲学することが、この限界状況の中では重要である」ということを主張しています。
また、アメリカの精神医学者である、デヴィッド・R・ホーキンズ博士は「パワーかフォースか」という本の中で、キネシオロジーの研究によって、人間の意識レベルを測り、人間の意識レベル(意識のレベルというのは、医療における意識レベルと精神レベルの意識レベルとがあります。ここでは精神的意識路ベルのことです。)を数値化しました。
この意識レベルは人間の精神的なレベルを数値化したものであり、人間は精神的に成長が可能であることを示唆しているのです。
心理学は今まで、人間の「心理レベル」でしか研究が行われていませんでした。
これからは、フランクルの次元的存在論を活用し人間の「精神」に焦点を当てて、どのようにしたら人間が精神的向上を図ることができるのかを「心理学」ではなく「精神学」という観点から研究しなければ、人間の成長はないのではないかと思うのです。
フランクルの理論は、自分の心理学は、深層心理学ではなく、高層心理学であるとしています。
私はこれらのことを老後の趣味として、ブログを書いておりまして、今年「精神的次元上昇への道」というAmazonのキンドル本を独自で自己満足出版しました。
私は権威性が全くありませんので匿名(金の茶葉)で出版しました。
実験心理学の父であるブントのように、人間の精神をもっと数値化して、実験精神学の基礎のようなものができれば、この理不尽な社会に人間は対抗できると思うのです。